松岡ジョナタンは初戦の静岡ユース戦で苦い経験を味わった
U-18パラグアイ代表の優勝で幕を閉じたSBSカップ国際ユースサッカー大会。優勝の喜びを全身で表現するパラグアイ代表の中に、名古屋グランパスU-18所属の松岡ジョナタンの姿もあった。
今回、松岡はU-18パラグアイ代表として出場。最終戦となった8月19日のU-18日本代表戦はベンチ外となり、ジャージ姿でのセレモニー参加になってしまった。
初戦の静岡ユース戦(静岡県U-18選抜)、第2戦のU-18オーストラリア代表戦ではいずれも試合途中からの出場。赤と白の縦縞のユニホームを身に纏ってピッチに立った。
ただ、PK戦となった静岡ユース戦では苦い経験を味わうことに。10人目のキッカーを務め、放ったシュートはクロスバーを直撃してしまったのだ。チームも敗戦し、彼にとって大きな意義を持つ時間だった。
「パラグアイか日本代表に入ることは、ずっと持ち続けていた夢だったんです」
松岡にとって今回の代表選出は人生で初の出来事だった。父はパラグアイとイタリア、母はパラグアイと日本にルーツを持つ。そのため、20歳までにパラグアイと日本の国籍を選べる立場で、今回はパラグアイから招集の声が掛かった。
パラグアイ生まれの松岡は6歳の時に来日し、そこからずっと日本で育った。3歳で始めたサッカーも日本で技術に磨きをかけ、高校進学のタイミングでHONDA FCから名古屋グランパスU-18にやってきた。
昨年はプレミアリーグ参入戦1回戦で2ゴールを挙げ、参入決定戦進出に貢献。その決定戦では負傷退場を余儀なくされ、今季は10番を託されたなかで復帰までに時間が掛かってしまった。
しかし、松岡は懸命にリハビリと筋力アップに取り組み、復帰後は徐々にコンディションも向上。そうした折に、U-18パラグアイ代表入りの朗報が舞い込んだ。
「パラグアイが声を掛けてくれたことはとても感謝をしています。でも、日本という国が僕をサッカー選手として育ててくれた。だからこそ、やっぱり日本代表に入りたいという思いはあります」
そういう言葉で日本への想いを口にする一方、今回の経験は彼の心境も大きく変えた。
今回、松岡はU-18パラグアイ代表として出場。最終戦となった8月19日のU-18日本代表戦はベンチ外となり、ジャージ姿でのセレモニー参加になってしまった。
初戦の静岡ユース戦(静岡県U-18選抜)、第2戦のU-18オーストラリア代表戦ではいずれも試合途中からの出場。赤と白の縦縞のユニホームを身に纏ってピッチに立った。
ただ、PK戦となった静岡ユース戦では苦い経験を味わうことに。10人目のキッカーを務め、放ったシュートはクロスバーを直撃してしまったのだ。チームも敗戦し、彼にとって大きな意義を持つ時間だった。
「パラグアイか日本代表に入ることは、ずっと持ち続けていた夢だったんです」
松岡にとって今回の代表選出は人生で初の出来事だった。父はパラグアイとイタリア、母はパラグアイと日本にルーツを持つ。そのため、20歳までにパラグアイと日本の国籍を選べる立場で、今回はパラグアイから招集の声が掛かった。
パラグアイ生まれの松岡は6歳の時に来日し、そこからずっと日本で育った。3歳で始めたサッカーも日本で技術に磨きをかけ、高校進学のタイミングでHONDA FCから名古屋グランパスU-18にやってきた。
昨年はプレミアリーグ参入戦1回戦で2ゴールを挙げ、参入決定戦進出に貢献。その決定戦では負傷退場を余儀なくされ、今季は10番を託されたなかで復帰までに時間が掛かってしまった。
しかし、松岡は懸命にリハビリと筋力アップに取り組み、復帰後は徐々にコンディションも向上。そうした折に、U-18パラグアイ代表入りの朗報が舞い込んだ。
「パラグアイが声を掛けてくれたことはとても感謝をしています。でも、日本という国が僕をサッカー選手として育ててくれた。だからこそ、やっぱり日本代表に入りたいという思いはあります」
そういう言葉で日本への想いを口にする一方、今回の経験は彼の心境も大きく変えた。