【コラム】36年前、1982年のスペインで大勝負に打って出た「サッカーダイジェスト」

カテゴリ:連載・コラム

石川聡

2018年06月10日

ライバル2誌に悟られぬよう、大胆な“奇策”を

数多のスーパースターが競演し、美しき名勝負が頻発した82年のスペインW杯。サッカーダイジェストにとってもエポックメイキングな大会となった。(C)Getty Images

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 祝! ワールドカップ10回記念!
 
 1930年に第1回大会が行なわれたワールドカップは、間近に迫るロシア大会が21回目の開催。10回というのは『サッカーダイジェスト』(ダイジェスト)がこの祭典を報道するようになってから、今回までの回数である。
 
 1979年の暮れに創刊した本誌が、初めてワールドカップを取材し、掲載するようになったのは1982年のスペイン大会からだ。当時は月刊で、編集部からの特派記者として現地入りした。36年前の記憶をたどってみたい。
 
 その頃、日本にあったサッカー専門誌は老舗の『サッカーマガジン』(マガジン)、海外サッカーの紹介に力を入れていた『イレブン』、そして新興のダイジェストの3誌。増刊の大会展望号も苦労の末に発刊し、読者に好評価をいただいたのもつかの間、本大会に向けた戦略会議が行なわれた。販売部数で先行2誌に追い付き、追い越せと努力していた後発誌にとって、ワールドカップ初体験のスペイン大会は浮上のきっかけになる一方、経験の差を見せつけられて、一気に水を開けられる危険もはらんでいた。

 
 会議ではひとつの奇策が決まった。当時、毎月の発売日は確かマガジンと同じ「21日」だったと記憶しているが、それでは編集、印刷、配本などすべての作業工程を考えると、6月13日の開幕戦を掲載するのがやっと。そこでなんと、発売日を数日遅らせて、主要国の第1戦を一挙に掲載しようとしたのである。この動きをライバル誌に悟られてはいけないと、本誌での発売予告もしなかった(と記憶)。読者が待つ発売日に、本誌が書店に並ばないということは、不信感を募らせる結果になりかねない。後で聞いた話だが、「ダイジェスト、大丈夫なの?」といった声も少なくなかったようだ。
 
 しかし、そこは忍の一字。ライバル誌より数日遅れで日の目をみることになった本誌は、大きな反響を得ることができたという。表紙はもちろん、巻頭の約30ページにスペインからのカラー写真が満載。NHKの放送や新聞報道こそあったが、インターネットなど想像もできなかった時代である。ファンは情報に飢えており、その欲求に少なからず応えることができたのではないかと思う。大会直後に発刊した「ワールドカップ決戦号」も大好評。まさに決戦を戦い抜いたダイジェストは以後、着実に部数を伸ばし、その地歩を固めていった。
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