後半途中まで主導権は完全にベルギーが握っていた。
日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく本連載。今回紹介するのは、日本中がワールドカップフィーバーに沸いた2002年大会だ。
当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
――◆――◆――
歓喜を爆発させ、どよめき、沈黙し、ときにスタンドが大きく揺れる。5万2千人の大観衆を飲み込んだ埼玉スタジアムは、90分の間に何度となく一喜一憂を繰り返した。それはテレビの前でゲームを見守った人たちも同じだっただろう。
ドローゲームであっても、試合はたいてい優劣がつく。しかしこのゲームに限っては、正直に言ってどちらが勝ってもおかしくなかった。がっぷり四つ。単にゲームを楽しむだけなら、見ごたえのある90分だったと言うことができる。
序盤から試合終了までトータルで見て、日本の選手たちはよく身体が動いていた。ボールを奪われれば複数で対応にあたり、素早い寄せとファウルも辞さないコンタクトプレーで、ピンチの芽を摘み取ろうとした。コンディションの仕上がりは申し分なく、こと選手の運動量という点に関して、この日の日本は列強と遜色のないレベルだったと言っていい。最終的にボールポゼッションでも、日本はベルギーを上回っていた。
とはいえ、後半途中までゲームの主導権は、明らかにベルギーが握っていた。大会屈指と言われるディフェンス陣を前に、日本はまるでスペースを見つけられず、作ることもできない。逆にベルギーは、シンプルかつワイドにボールをつなぎ、少ないながらも、前半からチャンスを演出した。
28分にはゴールのクロスをマルク・ヴィルモッツがヘッドで合わせ、35分にはヘルト・ヴェルハイエンが左サイドをえぐって、際どいフィニッシュシーンにつないでいる。かたや日本は、前半にひとつの決定機も作り出せなかった。
嫌なムードは、後半に入って加速する。日本のチェックが散漫になってきたところに、ベルギーが鋭い攻めを繰り出しはじめたのだ。ワントップのヴェルハイエンはピッチのなかで誰よりも強く、高く、ヴィルモッツの飛び出しは巧妙を極め、左サイドのゴールもじわり、じわりと市川大祐にプレッシャーをかけていく。
当時の興奮を思い出しながら、間もなく地球の裏側で始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
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歓喜を爆発させ、どよめき、沈黙し、ときにスタンドが大きく揺れる。5万2千人の大観衆を飲み込んだ埼玉スタジアムは、90分の間に何度となく一喜一憂を繰り返した。それはテレビの前でゲームを見守った人たちも同じだっただろう。
ドローゲームであっても、試合はたいてい優劣がつく。しかしこのゲームに限っては、正直に言ってどちらが勝ってもおかしくなかった。がっぷり四つ。単にゲームを楽しむだけなら、見ごたえのある90分だったと言うことができる。
序盤から試合終了までトータルで見て、日本の選手たちはよく身体が動いていた。ボールを奪われれば複数で対応にあたり、素早い寄せとファウルも辞さないコンタクトプレーで、ピンチの芽を摘み取ろうとした。コンディションの仕上がりは申し分なく、こと選手の運動量という点に関して、この日の日本は列強と遜色のないレベルだったと言っていい。最終的にボールポゼッションでも、日本はベルギーを上回っていた。
とはいえ、後半途中までゲームの主導権は、明らかにベルギーが握っていた。大会屈指と言われるディフェンス陣を前に、日本はまるでスペースを見つけられず、作ることもできない。逆にベルギーは、シンプルかつワイドにボールをつなぎ、少ないながらも、前半からチャンスを演出した。
28分にはゴールのクロスをマルク・ヴィルモッツがヘッドで合わせ、35分にはヘルト・ヴェルハイエンが左サイドをえぐって、際どいフィニッシュシーンにつないでいる。かたや日本は、前半にひとつの決定機も作り出せなかった。
嫌なムードは、後半に入って加速する。日本のチェックが散漫になってきたところに、ベルギーが鋭い攻めを繰り出しはじめたのだ。ワントップのヴェルハイエンはピッチのなかで誰よりも強く、高く、ヴィルモッツの飛び出しは巧妙を極め、左サイドのゴールもじわり、じわりと市川大祐にプレッシャーをかけていく。