息苦しささえ覚える、両チームのめまぐるしい展開。
間もなくブラジル・ワールドカップが開幕。日本は5度目の大舞台で過去最高の成績を目指す。ワールドカップなど夢のまた夢だった長い低迷の時期、最終予選の最終試合で迎えた悲劇的な結末など、紆余曲折を経て本大会に辿りついたのが1998年。そこから途切れることなく、大舞台に立ち続けている日本は、南米の地でどれほど進化した姿を見せてくれるだろうか。
日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく。当時の興奮を思い出しながら、間もなく始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
――◆――◆――
「我々には暑さが問題だった」と、試合後にアリョーサ・アサノビッチは語った。しかし、暑さはクロアチアだけを不利にしたわけではない。コンディションは両チームに平等であり、そのなかで日本は互角以上の戦いを見せた。しかし、結果は敗戦。勝者と敗者の間には、一体どんな差があったのか。
試合は立ち上がりから両チームが相手ゴール前に接近する激しい攻防となった。日本が左サイドの相馬を起点にすれば、クロアチアは前線のダボル・シュケルにボールを集める。13分に日本が決定機を掴めば、1分後にクロアチアに得点チャンスが生まれる。
目まぐるしい展開に、暑さもともなって息苦しささえ覚える。日本がスカッと得点を奪うことが、緊張感を和らげる特効薬となる。張り詰めたムードが漂うなか、試合はイーブン・ペースで進んだ。
そんななか、日本がパスワークを駆使した組織力で攻撃を仕掛け、クロアチアは個々の選手が強引な突破を仕掛けた。たとえば1分に日本が中田英寿→城彰二→名波浩→相馬直樹とつないで左サイドを突破したかと思えば、6分にクロアチアはロベルト・ヤルニが名良橋晃を振り切ってクロスを入れる。
ともに決定打は出なかったが、お互いに限りなくゴールに近いところまで到達していた。
日本の出陣を前に、これまでワールドカップで残した足跡、つまり日本が戦った14試合を、週刊サッカーダイジェストの当時のレポートで振り返っていく。当時の興奮を思い出しながら、間もなく始まる新たな戦いに思いを馳せていただきたい。
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「我々には暑さが問題だった」と、試合後にアリョーサ・アサノビッチは語った。しかし、暑さはクロアチアだけを不利にしたわけではない。コンディションは両チームに平等であり、そのなかで日本は互角以上の戦いを見せた。しかし、結果は敗戦。勝者と敗者の間には、一体どんな差があったのか。
試合は立ち上がりから両チームが相手ゴール前に接近する激しい攻防となった。日本が左サイドの相馬を起点にすれば、クロアチアは前線のダボル・シュケルにボールを集める。13分に日本が決定機を掴めば、1分後にクロアチアに得点チャンスが生まれる。
目まぐるしい展開に、暑さもともなって息苦しささえ覚える。日本がスカッと得点を奪うことが、緊張感を和らげる特効薬となる。張り詰めたムードが漂うなか、試合はイーブン・ペースで進んだ。
そんななか、日本がパスワークを駆使した組織力で攻撃を仕掛け、クロアチアは個々の選手が強引な突破を仕掛けた。たとえば1分に日本が中田英寿→城彰二→名波浩→相馬直樹とつないで左サイドを突破したかと思えば、6分にクロアチアはロベルト・ヤルニが名良橋晃を振り切ってクロスを入れる。
ともに決定打は出なかったが、お互いに限りなくゴールに近いところまで到達していた。