4年連続J1残留の背景に…しぶとく生き抜く甲府カルチャーの基盤となった男の生き様

カテゴリ:Jリーグ

大島和人

2017年10月17日

「『負けたくない』という気持ちは人一倍持っていたと思う」

17年に渡り甲府一筋でプロ人生を歩んできた石原(7番)。そのキャリアは、まさにクラブカルチャーを体現するものだ。写真:徳原隆元

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 甲府は予算規模的に間違いなくこのカテゴリーで最少のクラブだが、それでも4年連続のJ1残留を成し遂げている。15日のFC東京戦を引き分けたことで15位に浮上し、「5年連続」に半歩近づいた。
 
 今季限りでスパイクを脱ぐ決断をした石原克哉は、そんなクラブが「J2最少規模」「最弱」だった2001年に甲府へ加わっている。他に行き場のない練習生として拾われた形でキャリアをスタートし、17シーズンに渡って甲府一筋でプレーしてきた。若い頃はキレ味鋭いドリブラーとして、その後は運動量豊富なオールラウンダーとしてクラブを支えてきた。
 
 筆者が印象深いのは2014年の終盤に彼が見せた奮闘だ。石原は29節・浦和戦からのラスト6試合にすべて先発し、チームはその間の戦いを3勝3分けで乗り切って残留に漕ぎつけた。エースとして期待されたクリスティアーノがフィットしない中で、石原と盛田剛平、阿部拓馬といういぶし銀の「100歳3トップ」が機能した。
 
 13年から甲府でプレーし、今季はゲームキャプテンを務めることも多い新井涼平は石原への感謝を口にする。
「僕は人見知りなので自分を出すまでに時間がかかりましたけれど、克さんが何かあるごとに声をかけてくれました。チームに溶け込むような役を買って出てくれた人です。『好きなようにやっていいよ』とか、『自分を出してやった方がいいよ』という言葉が自分を助けてくれた。チームみんなを常にしっかり見てくれているなという感じがしました」
 
 石原は時には厳しい、周りが言いにくいことを口にする「骨のあるタイプ」でもあるが、それは間違いなく彼なりにチームをいい方向に導こうという思いから生まれる言葉だ。ピッチ内においても同様で、35歳を過ぎてからの彼にオン・ザ・ボールの強みはもうなかったが、しかしスペースを空ける、バランスを取るといった「献身的な」「気が利く」プレーでチームを支えていた。
 
 本人が「特別に技術がある方でも、フィジカルがある方でもなかったけれど、『負けたくない』という気持ちは人一倍持っていたと思う」と口にするメンタリティも、彼を39歳の今季まで駆り立てるエネルギーになったのだろう。地元・韮崎高出身で「山梨」を背負う立場でもあるが、そういう彼が身をもって生き様を見せたことが、甲府のサバイバルを助けていた。
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