昨年末のクリスマスに思いもよらぬ一本の電話が……。
2016年10月12日、インドの地でカレン・ロバートが新たなスタートを切った。プロデビューから13年。磐田から始まり、熊本、オランダのVVV、タイのスパンブリーFC、ソウル・イーランドFCを渡り歩いた後、なぜカレンは新天地にインドの地を選んだのか――。
取材・文:小須田泰二(フリーライター)
――◆――◆――
本来なら、現在もソウル・イーランドFCでプレーしているはずだった。
昨シーズンに移籍したソウル・イーランドFCとの契約内容は、1年契約プラス1年契約延長のオプション付きだった。契約延長の条件はふたつ。ひとつは、シーズンを通して60パーセント以上の試合数をクリアすること、もうひとつは、チームが1部昇格を果たすことだった。
前者はクリアしていたものの、昇格プレーオフで敗れて、残りのひとつは達成できなかった。
「このまま退団することになるって思っていたら、監督が残す方向で考えているって言ってくれた。来年もソウルでプレーできるんだって安心していた」
しかし、事態は急変する。
12月25日のクリスマスの日、カレンのもとに1本の電話が鳴った。
「残念なニュースだが、契約延長できなくなった。たいへん申し訳ないが、今シーズン限りでチームとはお別れになる」
路頭に迷うことは、まさにこのことを言うのだろう。その日から、カレンはフリーエージェントの身になったのである。それから、代理人とともに大慌てで移籍先を探した。
「でも時期が悪すぎたね。移籍マーケットは終盤に差し掛かっていて、ダメ元でいくつかのJクラブに問い合わせしたけれど、結局、どこからもいい返事をもらえなかった。これからどうなるんだろうってすごく心配していた」
サッカー選手を辞めるつもりはまったくなかった。もちろん、自分を必要としてくれるクラブがなければ、現役を続けることはできない。しかし、年齢もまだ30歳だ。スパイクを脱ぐつもりなど一切なかった。
自身がオーナーとなっている『ローヴァーズ』の社会人チーム、母校の市立船橋高などの練習に参加し、フィジカルコンディションの維持に努めながら、チャンスが来るのを待ち続けていた。
そして3月、カレンのもとにオファーが舞い込んだ。移籍先候補は北米リーグ(アメリカの実質2部リーグ)に所属するミネソタ・ユナイテッド。正式なオファーではないものの、すぐにパスポートを持ってアメリカに来てほしいという。一方でインドのノースイースト・ユナイテッドからオファーがあったのもこの時期だった。条件面ではノースイースト・ユナイテッドのほうが魅力的だった。
「捨てる神あれば拾う神あり。オファーをもらえたのは本当にラッキーだった。アメリカでサッカーやるのも興味があったけれど、インドも条件面などで魅力的だった。でも、いずれにしても、この段階ではまだなにも決まっていなかった。正式に契約するまでは安心できなかったので、とにかく正式なオファーが来るのを待ち続けていた」
インドからの正式オファーを待ちながら、4月下旬には、来年以降の契約を見据え、ミネソタ・ユナイテッドの練習に参加した。アメリカでもやれるという手応えをつかんで5月上旬に帰国。ほどなくして、インドからの正式オファーが届いた。引退の危機を回避したのである。
取材・文:小須田泰二(フリーライター)
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本来なら、現在もソウル・イーランドFCでプレーしているはずだった。
昨シーズンに移籍したソウル・イーランドFCとの契約内容は、1年契約プラス1年契約延長のオプション付きだった。契約延長の条件はふたつ。ひとつは、シーズンを通して60パーセント以上の試合数をクリアすること、もうひとつは、チームが1部昇格を果たすことだった。
前者はクリアしていたものの、昇格プレーオフで敗れて、残りのひとつは達成できなかった。
「このまま退団することになるって思っていたら、監督が残す方向で考えているって言ってくれた。来年もソウルでプレーできるんだって安心していた」
しかし、事態は急変する。
12月25日のクリスマスの日、カレンのもとに1本の電話が鳴った。
「残念なニュースだが、契約延長できなくなった。たいへん申し訳ないが、今シーズン限りでチームとはお別れになる」
路頭に迷うことは、まさにこのことを言うのだろう。その日から、カレンはフリーエージェントの身になったのである。それから、代理人とともに大慌てで移籍先を探した。
「でも時期が悪すぎたね。移籍マーケットは終盤に差し掛かっていて、ダメ元でいくつかのJクラブに問い合わせしたけれど、結局、どこからもいい返事をもらえなかった。これからどうなるんだろうってすごく心配していた」
サッカー選手を辞めるつもりはまったくなかった。もちろん、自分を必要としてくれるクラブがなければ、現役を続けることはできない。しかし、年齢もまだ30歳だ。スパイクを脱ぐつもりなど一切なかった。
自身がオーナーとなっている『ローヴァーズ』の社会人チーム、母校の市立船橋高などの練習に参加し、フィジカルコンディションの維持に努めながら、チャンスが来るのを待ち続けていた。
そして3月、カレンのもとにオファーが舞い込んだ。移籍先候補は北米リーグ(アメリカの実質2部リーグ)に所属するミネソタ・ユナイテッド。正式なオファーではないものの、すぐにパスポートを持ってアメリカに来てほしいという。一方でインドのノースイースト・ユナイテッドからオファーがあったのもこの時期だった。条件面ではノースイースト・ユナイテッドのほうが魅力的だった。
「捨てる神あれば拾う神あり。オファーをもらえたのは本当にラッキーだった。アメリカでサッカーやるのも興味があったけれど、インドも条件面などで魅力的だった。でも、いずれにしても、この段階ではまだなにも決まっていなかった。正式に契約するまでは安心できなかったので、とにかく正式なオファーが来るのを待ち続けていた」
インドからの正式オファーを待ちながら、4月下旬には、来年以降の契約を見据え、ミネソタ・ユナイテッドの練習に参加した。アメリカでもやれるという手応えをつかんで5月上旬に帰国。ほどなくして、インドからの正式オファーが届いた。引退の危機を回避したのである。