今季は右SBをメインに活躍
ACLエリート(ACLE)準優勝を果たした川崎で、チームメイトと切磋琢磨しながら逞しい成長を見せているのがDF佐々木旭だ。大きな可能性を示す彼に、改めてアジアの舞台での戦いや、ここまでの歩みを振り返ってもらったインタビューシリーズである。
(第1回/全3回)
――◆――◆――
35→26。
リーグ24試合を戦った時点での川崎の昨季と今季の失点数の比較だ。
ちなみに得点数は35→38に増えており、勝点も28(14位)→38(7位)へジャンプアップ。
黄金期に導いた鬼木達体制から長谷部茂利体制への移行が今季の川崎の最大のトピックだったが、就任時に長谷部監督が掲げた、昨季はワースト7位だった失点数(57)の減少とリーグ2位だった得点数(66)の増加というテーマは、実現に向かっていると言えるだろう。
丸山祐市、高井幸大(夏にトットナムへ移籍)のCBコンビは補完性が高く、左SBの三浦颯太とともに、逞しい成長を見せているのが、大卒4年目、25歳の右SB佐々木旭である。昨季は鬼木監督の下で両SBに続き、ボールを持ち運べるCBとしても活躍。そして今季は開幕から右SBを主に務め、高いパフォーマンスを示す。
「これまでも自信はありましたけど、守っていて、“絶対にやられない”と感じることができたのは、去年からですね。センターバックは実際に声を出さないと守れないですし、それがサイドバックでのプレーにもつながり、自分の考えを周りの選手に伝え、自分の守りやすいように守ることができるようになりました。あとは肉体的なところで、競り負けない身体を作れているのも大きいと思います」
(第1回/全3回)
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35→26。
リーグ24試合を戦った時点での川崎の昨季と今季の失点数の比較だ。
ちなみに得点数は35→38に増えており、勝点も28(14位)→38(7位)へジャンプアップ。
黄金期に導いた鬼木達体制から長谷部茂利体制への移行が今季の川崎の最大のトピックだったが、就任時に長谷部監督が掲げた、昨季はワースト7位だった失点数(57)の減少とリーグ2位だった得点数(66)の増加というテーマは、実現に向かっていると言えるだろう。
丸山祐市、高井幸大(夏にトットナムへ移籍)のCBコンビは補完性が高く、左SBの三浦颯太とともに、逞しい成長を見せているのが、大卒4年目、25歳の右SB佐々木旭である。昨季は鬼木監督の下で両SBに続き、ボールを持ち運べるCBとしても活躍。そして今季は開幕から右SBを主に務め、高いパフォーマンスを示す。
「これまでも自信はありましたけど、守っていて、“絶対にやられない”と感じることができたのは、去年からですね。センターバックは実際に声を出さないと守れないですし、それがサイドバックでのプレーにもつながり、自分の考えを周りの選手に伝え、自分の守りやすいように守ることができるようになりました。あとは肉体的なところで、競り負けない身体を作れているのも大きいと思います」
佐々木と言えば大卒で加入した2022年からすぐに左SBで起用されるなど、ポテンシャルの高さは十分だった。だが、好パフォーマンスを見せたかと思えば、体調を崩すなど継続性が課題で、またメンタル面の向上もテーマであった。
「それこそ月に2回ほど体調を崩していたんじゃないですかね...。大学サッカーの環境からは大きく変わり、観てくださる方々の人数もめちゃくちゃ増えました。そこでマズいプレーをしたら叩かれますし、そういうところにストレスは感じていたのかもしれません。
そこは当たり前でチームは3連覇が懸かっていた年で、1年目の自分がひょこっと出て、失点に絡んでしまったりしたら、観ている人たちはストレスを溜めたに違いない。
しかも2連覇したその前の年までは勝てていたチームが、その年は苦戦を強いられた(結果的に3連覇はできず)。自分が試合に出るようになって悪くなったのか、自分のせいなのかとか、色々考えちゃう部分がありました。自分が出て良いのか悩むこともありました...。
それに自分が1年目の時、やっぱり周りには凄い選手が一杯いました。それでもオニさん(鬼木監督)や(コーチの寺田)周平さんには『もっと声を出さないと守れないぞ!!』とずっと言い続けてもらっていたんです。
そういうアドバイスのお陰で徐々に図太くなれたのかなと。やっぱりプレッシャーの中で戦っていかないといけないですし、そうやって声を出すのもひとつで、尊敬できる選手たちの中でも、自分を出していかないといけない。それを改めて学ばせていただきました。
これまでの指導者の方々もそうですし、特にプロに入っての3年でオニさんに指導していただけたのは本当に大きかったです。オニさんは正直怖いですよ(苦笑)。ただ妥協を許さない人で、めちゃくちゃ鍛えていただきました。オニさんと出会えてなかったら今の自分はいない。そう本気で言えるような恩人ですね。
1本1本しっかりスプリントするとか、球際で戦う面など、大事なベースを厳しく伝えてもらいました。それこそ声出しの部分もそうです。試合に出ているメンバーを見ると、例えば(右SBの山根)視来さん(現ロサンゼルス・ギャラクシー)も本当に1本のパス、ひとつのトラップ、1本のスプリントにこだわる方でした。それを練習で示さないと試合に出られない。だから自然と誰もが徹底するようになりますし、その中でも、僕は厳しく言われたほうだと思うので感謝しています。当初なんてチームミーティングは僕と(橘田)健人くんの映像ばかりで、ふたりのためのミーティングみたいになっていましたから。
それに先輩たちが徐々に移籍をしたりして、自分がチームを勝たせなくてはいけないという自覚も強まりました。去年、センターバックをやって、必要とされているじゃないすけど、頼ってもらえている感覚も抱けたんです。オニさんも嬉しい言葉をかけてくれましたし、チームメートも褒めてくれた。そのやりがいによってより成長でき、強くなれました。自分が中心になって守らなきゃいけない、絶対に突破させない、なぎ倒してでもボールを奪うという覚悟を持てたんです」
体調面が改善されたのは扁桃腺を手術したお陰でもあるという。もっとも本人も語るように何より大きかったのはメンタルの充実であった。
「それこそ月に2回ほど体調を崩していたんじゃないですかね...。大学サッカーの環境からは大きく変わり、観てくださる方々の人数もめちゃくちゃ増えました。そこでマズいプレーをしたら叩かれますし、そういうところにストレスは感じていたのかもしれません。
そこは当たり前でチームは3連覇が懸かっていた年で、1年目の自分がひょこっと出て、失点に絡んでしまったりしたら、観ている人たちはストレスを溜めたに違いない。
しかも2連覇したその前の年までは勝てていたチームが、その年は苦戦を強いられた(結果的に3連覇はできず)。自分が試合に出るようになって悪くなったのか、自分のせいなのかとか、色々考えちゃう部分がありました。自分が出て良いのか悩むこともありました...。
それに自分が1年目の時、やっぱり周りには凄い選手が一杯いました。それでもオニさん(鬼木監督)や(コーチの寺田)周平さんには『もっと声を出さないと守れないぞ!!』とずっと言い続けてもらっていたんです。
そういうアドバイスのお陰で徐々に図太くなれたのかなと。やっぱりプレッシャーの中で戦っていかないといけないですし、そうやって声を出すのもひとつで、尊敬できる選手たちの中でも、自分を出していかないといけない。それを改めて学ばせていただきました。
これまでの指導者の方々もそうですし、特にプロに入っての3年でオニさんに指導していただけたのは本当に大きかったです。オニさんは正直怖いですよ(苦笑)。ただ妥協を許さない人で、めちゃくちゃ鍛えていただきました。オニさんと出会えてなかったら今の自分はいない。そう本気で言えるような恩人ですね。
1本1本しっかりスプリントするとか、球際で戦う面など、大事なベースを厳しく伝えてもらいました。それこそ声出しの部分もそうです。試合に出ているメンバーを見ると、例えば(右SBの山根)視来さん(現ロサンゼルス・ギャラクシー)も本当に1本のパス、ひとつのトラップ、1本のスプリントにこだわる方でした。それを練習で示さないと試合に出られない。だから自然と誰もが徹底するようになりますし、その中でも、僕は厳しく言われたほうだと思うので感謝しています。当初なんてチームミーティングは僕と(橘田)健人くんの映像ばかりで、ふたりのためのミーティングみたいになっていましたから。
それに先輩たちが徐々に移籍をしたりして、自分がチームを勝たせなくてはいけないという自覚も強まりました。去年、センターバックをやって、必要とされているじゃないすけど、頼ってもらえている感覚も抱けたんです。オニさんも嬉しい言葉をかけてくれましたし、チームメートも褒めてくれた。そのやりがいによってより成長でき、強くなれました。自分が中心になって守らなきゃいけない、絶対に突破させない、なぎ倒してでもボールを奪うという覚悟を持てたんです」
体調面が改善されたのは扁桃腺を手術したお陰でもあるという。もっとも本人も語るように何より大きかったのはメンタルの充実であった。