セリエA最盛期に強烈なインパクトを放った「セブン・シスターズ」(ユベントス、ミラン、インテル、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマ)を対象に、1975年以降のそれぞれの歴代外国籍タレントを、各クラブの事情通に独自のものさしで評価、順位付けしてもらった。
スカイ・イタリアのフィリッポ・ベニンカンピ氏が選出したラツィオの歴代最高助っ人TOP10は――。
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外国人選手がラツィオの歴史にどれだけのインパクトを残したかは、スタディオ・オリンピコのゴール裏、クルバ・ノルドを見るだけで十分だ。
数多くのフラッグの中でひときわ目立つのは、2001年のあるCLの試合におけるミハイロビッチを描いたもの。顔をプロテクターで覆ったその姿は、白血病で世を去ったいまもなお生き続ける戦士の魂を象徴するものだ。その左足から蹴り出される強烈なFKと、それに続くスベン・ゴラン・エリクソン監督との抱擁は、ラツィアーレたちの心にいまも残る甘い記憶だ。
そのラツィアーレたちは、いまもネドベドが01年にユベントスへと去った裏切りを許せずにいる。ズデネク・ゼーマンが母国チェコから呼び寄せた時にはほぼ無名だった攻撃的MFは、98-99シーズンのカップウィナーズ・カップ決勝で決勝点を挙げてクラブ史上初の国際タイトルをもたらし、2000年にはスクデット獲得における立役者のひとりとなった。
クラブの歴史への貢献度だけなら、彼を超える外国人はいない。それだけに……。
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ひときわ目立つミハイロビッチのフラッグ
そのスクデットには、ベロン、シメオネという中盤のアルゼンチン人コンビも、前者がローマダービー、後者がユーベとの直接対決におけるゴールで大きな貢献を果たしている。このチームには、チリからやって来た「エル・マタドール」ことサラス、そしてミハイロビッチの強い推薦で獲得された若きスタンコビッチも名を連ねていた。
それから20年後に同じセルビアからやってきたもうひとりの若きタレント、ミリンコビッチ=サビッチ、そしてキャリアの晩年に最後の一花を咲かせたミロ・クローゼも、近年の助っ人たちの中では忘れえぬ存在だ。
90年代半ば、ゼーマンの下で4-3-3の攻撃サッカーが猛威を振るった時代には、愛すべき悪童ガスコインがサポーターのアイドルだった。その「ガッザ」、そしてシニョーリとともにトリデンテを形成したボクシッチもまた忘れ難い。