セリエA最盛期に強烈なインパクトを放った「セブン・シスターズ」(ユベントス、ミラン、インテル、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマ)を対象に、1975年以降のそれぞれの歴代外国籍タレントを、各クラブの事情通に独自のものさしで評価、順位付けしてもらった。
スカイ・スポルトなどで活躍したアントニオ・フィンコ氏が選出したミランの歴代最高助っ人TOP10は――。
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最も深く記憶に刻まれている偉大なミランは、間違いなく「オランダトリオのミラン」だ。彼らが見せた圧倒的なプレーの数々は、後にも先にもないほどに衝撃的だった。
6シーズンで125ゴールを叩き出しただけでなく、その比類なきエレガンスと品格で見る者すべてを魅了したのがファン・バステンだ。三度のバロンドールが何よりもその崇高さを物語っている。度重なる踝の怪我に悩まされ28歳で実質的なキャリアを終えたが、ミラニスタにとっては今なお別格の存在だ。
フリットは、ファン・バステンとは対照的なフィジカルモンスターだが、チームに勝利をもたらす能力では彼にほとんど引けを取らなかった。ライカールトは、サッキによってCBからセントラルMFにコンバートされ、その強靭な肉体を活かした堅固な守備はもちろん、意外性に富んだ前線への攻撃参加でも違いを作り出した。
この3人と入れ替わるようにミランにやって来た「ジェニオ」ことサビチェビッチもクライフの「ドリームチーム」に一泡吹かせた93-94シーズンCL決勝の美しいゴール、そして数々の華麗なプレーが今も語り草だ。
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アンチェロッティ政権の名手も3人選出!
オランダトリオの時代に次いで、心に残っているのは、欧州の舞台で真の主役に返り咲いたアンチェロッティのミランだ。そのシンボルと言うべき外国人選手がカカ。ピッチを縦に切り裂くドリブルと強烈なシュートは、いわゆるファンタジスタとは異なるモダンなトレクァルティスタ(トップ下)像を確立し、ついにはバロンドールまで勝ち取った。
そのブラジル人とミランの前線を支えたのがシェフチェンコ。爆発的なスピードと左右両足から繰り出すシュート、そして空中戦の強さを武器に、在籍8シーズンで175ゴールを叩き出し2004年にはバロンドールの栄光を手にしている。このチームの中盤を、「プロフェッソーレ」(教授)と呼ばれるほどの戦術的インテリジェンスとリーダーシップで支えたのがセードルフ。ミランに10シーズン在籍し、2回ずつ獲得したCLとスクデットをはじめ、アンチェロッティ時代のタイトルすべてに関わった。
その後、アッレーグリの下でスクデットを勝ち取ったチームにも、記憶に残る外国人選手は少なくない。まだ18歳にもならない若さでミランにやって来たパトは、その宝石のような才能からサポーターの期待と愛情を集めながら、度重なる故障でその一部しか発揮することはなく、今なおサポーターの間にはその運命を惜しむ声が少なくない。そのパトやロナウド、ロビーニョ、カカといった同胞の盟友たちとプレーしたロナウジーニョも、その奇想天外なファンタジアと踊るようなプレーでミラニスタを魅了した。同じブラジル人で、ミラン史上最強の外国人DFとして記憶されるT・シウバも忘れ難い。
イブラヒモビッチ?ユベントスとインテルでもプレーし、自分のキャリアが最も大事なナルシストが私の心の中に大きな場所を占めることはない。