バロンドールを運んできた唯一無二の存在
セリエA最盛期に強烈なインパクトを放った「セブン・シスターズ」(ユベントス、ミラン、インテル、ローマ、ラツィオ、フィオレンティーナ、パルマ)を対象に、1975年以降のそれぞれの歴代外国籍タレントを、各クラブの事情通に独自のものさしで評価、順位付けしてもらった。
パルマ・トゥデイのグリエルモ・トゥルーポ記者が選出したパルマの歴代最高助っ人TOP10は――。
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数多あるプロビンチャーレ(地方都市の中小クラブ)のひとつに過ぎなかったパルマがセリエA、そして欧州カップ戦の舞台で輝き始めたのは1990年代初頭のこと。それ以来、少なくないワールドクラスがこの地を通り過ぎていった。
中でもサポーターの記憶に深く刻まれているのが、セリエA初の外国人GKでもあるブラジル代表のクラウディオ・タファレル。パルマにとっても最初の大物外国人選手であり、90年代初頭の躍進に最も大きな貢献を果たしたひとりだ。正確で伸びのある低弾道のパントキックは、当時としては衝撃的だった。
そのチームで攻撃の一端を担っていたのが、スウェーデンのテクニシャン、トマス・ブロリン。運動量とドリブル、そして勝負強さを持っていた。そのブロリンとともに攻撃を牽引したのが“黒豹”ファウスティーノ・アスプリージャだ。彼のゴールと宙返りパフォーマンスは、新興勢力ながら欧州を震撼させたパルマのシンボルだった。
フリスト・ストイチコフはパルマに移籍してきたときはすでにキャリアの斜陽期で、大きな輝きは放てなかったが、しかしこのクラブにバロンドールを運んできた唯一無二の存在だ。
パルマ・トゥデイのグリエルモ・トゥルーポ記者が選出したパルマの歴代最高助っ人TOP10は――。
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数多あるプロビンチャーレ(地方都市の中小クラブ)のひとつに過ぎなかったパルマがセリエA、そして欧州カップ戦の舞台で輝き始めたのは1990年代初頭のこと。それ以来、少なくないワールドクラスがこの地を通り過ぎていった。
中でもサポーターの記憶に深く刻まれているのが、セリエA初の外国人GKでもあるブラジル代表のクラウディオ・タファレル。パルマにとっても最初の大物外国人選手であり、90年代初頭の躍進に最も大きな貢献を果たしたひとりだ。正確で伸びのある低弾道のパントキックは、当時としては衝撃的だった。
そのチームで攻撃の一端を担っていたのが、スウェーデンのテクニシャン、トマス・ブロリン。運動量とドリブル、そして勝負強さを持っていた。そのブロリンとともに攻撃を牽引したのが“黒豹”ファウスティーノ・アスプリージャだ。彼のゴールと宙返りパフォーマンスは、新興勢力ながら欧州を震撼させたパルマのシンボルだった。
フリスト・ストイチコフはパルマに移籍してきたときはすでにキャリアの斜陽期で、大きな輝きは放てなかったが、しかしこのクラブにバロンドールを運んできた唯一無二の存在だ。
96年に鳴り物入りで加入したエルナン・クレスポは、ゴールを外し続けてブーイングの嵐を集めたところから、自らのゴールでサポーターの信頼を勝ち取り、クラブの象徴にまで上り詰めた。そのクレスポとともにコッパ・イタリアとUEFAカップを獲得したファン・セバスティアン・ベロンは、パルマの歴史上最もクオリティーの高い司令塔だった。
圧倒的なフィジカルにテクニックも兼ね備えたCBのリリアン・テュラムも当時のメンバーで、在籍中にフランス代表としてW杯とEUROを制覇してもいる。
01年にローマから約3000万ユーロの移籍金でやって来た中田英寿は、その投資に見合うほどの活躍はできなかった。それでもテクニック、戦術眼、運動量のすべてを併せ持ち、攻守両面でチームに貢献するそのプレースタイルは、25年前の時点ですでに現代のサッカーを先取りするものだった。
圧倒的なパワーを左足に秘めたアドリアーノ、爆発的なスピードであらゆる敵をぶっちぎるジェルビーニョという、タイプの異なるふたりの怪物は、その奔放な私生活も含め、規格外の存在としてサポーターに愛された。
圧倒的なフィジカルにテクニックも兼ね備えたCBのリリアン・テュラムも当時のメンバーで、在籍中にフランス代表としてW杯とEUROを制覇してもいる。
01年にローマから約3000万ユーロの移籍金でやって来た中田英寿は、その投資に見合うほどの活躍はできなかった。それでもテクニック、戦術眼、運動量のすべてを併せ持ち、攻守両面でチームに貢献するそのプレースタイルは、25年前の時点ですでに現代のサッカーを先取りするものだった。
圧倒的なパワーを左足に秘めたアドリアーノ、爆発的なスピードであらゆる敵をぶっちぎるジェルビーニョという、タイプの異なるふたりの怪物は、その奔放な私生活も含め、規格外の存在としてサポーターに愛された。