川崎一筋15年の登里享平はなぜC大阪へ移籍したのか。中村憲剛、大久保嘉人、家長昭博、小林悠らからの言葉、数えきれない涙、誓った決意【インタビュー前編】
カテゴリ:Jリーグ
2024年02月22日
自分でも驚く決断に
川崎一筋15年を貫いてきた登里享平が、2024年シーズンへ向けて選んだのが、C大阪への移籍だった。驚きの決断の背景にはどんな想いがあったのか。そして新天地での決意とは。リーグ開幕前に胸の内を明かしてくれたスペシャルインタビューの前編をお届けする。
――◆――◆――
「泣きすぎて二重になったんですよ」
そう笑い飛ばせるのが、生粋のムードメーカー、登里享平という男である。
それでも今オフ、15年所属した川崎フロンターレからセレッソ大阪へ移籍する決断の裏には、寝られなくなるほどの葛藤と、どれくらい流したか分からないほどの涙があった。
2024年の年明け、1月6日、両クラブから発表されたリリースを見て、目を疑った人は多かったに違いない。登里の川崎からC大阪への完全移籍が発表されたのだ。
2009年に香川西高から入団して以来、川崎一筋を貫き続けてきた男である。背番号2がいる川崎を、誰もが当たり前だと感じていたはずだ。本人でさえそう思ってきたのだという。
だからこそ、「自分でも驚いている」と振り返る。
それでも気持ちが動いたのは、C大阪からのオファーだったからだ。
「イメージしやすかったと言いますか、それこそ過去にセレッソに在籍したいろんな方から、すごく良い話を聞かせてもらっていて、実際にやっているサッカーもすごく魅力的でした。だからパッとイメージが沸いたと言いますか、本気で考えようと。他のクラブだったら、こうはならなかったかもしれないですね」
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「泣きすぎて二重になったんですよ」
そう笑い飛ばせるのが、生粋のムードメーカー、登里享平という男である。
それでも今オフ、15年所属した川崎フロンターレからセレッソ大阪へ移籍する決断の裏には、寝られなくなるほどの葛藤と、どれくらい流したか分からないほどの涙があった。
2024年の年明け、1月6日、両クラブから発表されたリリースを見て、目を疑った人は多かったに違いない。登里の川崎からC大阪への完全移籍が発表されたのだ。
2009年に香川西高から入団して以来、川崎一筋を貫き続けてきた男である。背番号2がいる川崎を、誰もが当たり前だと感じていたはずだ。本人でさえそう思ってきたのだという。
だからこそ、「自分でも驚いている」と振り返る。
それでも気持ちが動いたのは、C大阪からのオファーだったからだ。
「イメージしやすかったと言いますか、それこそ過去にセレッソに在籍したいろんな方から、すごく良い話を聞かせてもらっていて、実際にやっているサッカーもすごく魅力的でした。だからパッとイメージが沸いたと言いますか、本気で考えようと。他のクラブだったら、こうはならなかったかもしれないですね」
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川崎で共闘した仲間には、大久保嘉人、丹野研太、山村和也らC大阪で活躍してきた選手も多く、彼らは一様に、雰囲気の良さを話してくれたのだという。
ちなみに登里は大阪府東大阪市出身で奥さんも同級生。C大阪の試合も学生時代に観戦に行っており、その点でもイメージがしやすかったと話すが、「奥さんも自分も高校を出てから川崎で仕事をしていた」と人生の約半分を過ごしてきた土地への愛着もやはり深かった。
だからこそ悩みに悩んだ。残留をしようと決めた翌日には、移籍に気持ちが傾き、また1日経てば心が揺らぐ。その天秤はグラグラと何度も行ったり来たりを繰り返した。
「本当に二転三転したんですよ。フロンターレへの想いから残るべきやなと思いつつ、でもどこかで、チャレンジしたい気持ちもあり... ...。多くの人に言葉もかけてもらいました。ここまでフロンターレで築いてきたものがある一方で、自分に足りないもの、これからのキャリア、人生なども考えて」
それこそ多くの人と話した。大先輩の中村憲剛、大久保嘉人、家長昭博、山村和也から、常に切磋琢磨してきた小林悠、後輩の大島僚太まで... ....。
「嘉人さんには最初『ノボリは行かんほうが良い』と言われて。嘉人さんは背中を押してくれるタイプかと思っていたので『え?』となりましたが、それは僕の立場を考えてくれたからこそで、僕がフロンターレで多くの優勝を経験させてもらったという話をすると、『それはそうだな』と。そして『フロンターレもセレッソも良いクラブやし、そこは間違いない。人も良いし、そこの心配はないから、どっちの選択をしても正解だ』と話してくれました。
ヤマくん(山村)も電話をくれて、自分の選択をする材料をくれましたし、アキくん(家長)は『ノボリが出ていくのは考えてもなかった。でも、俺の意見というよりも、フロンターレにとってノボリは特別な存在だから、その視点で考えるべきかもしれない』とアドバイスをくれました。
(中村)憲剛さんは、『ワンクラブマンとして引退することは特別だし、そうした引退の形だったからこそ見えた景色もあった』と語ってくれました。憲剛さんとはいろんな話をしましたね。
コバくん(小林悠)はずっと一緒にやって来た特別な存在で、今後もともにプレーできれば幸せでしたし、この決断に至るまでふたりで泣きました」
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ちなみに登里は大阪府東大阪市出身で奥さんも同級生。C大阪の試合も学生時代に観戦に行っており、その点でもイメージがしやすかったと話すが、「奥さんも自分も高校を出てから川崎で仕事をしていた」と人生の約半分を過ごしてきた土地への愛着もやはり深かった。
だからこそ悩みに悩んだ。残留をしようと決めた翌日には、移籍に気持ちが傾き、また1日経てば心が揺らぐ。その天秤はグラグラと何度も行ったり来たりを繰り返した。
「本当に二転三転したんですよ。フロンターレへの想いから残るべきやなと思いつつ、でもどこかで、チャレンジしたい気持ちもあり... ...。多くの人に言葉もかけてもらいました。ここまでフロンターレで築いてきたものがある一方で、自分に足りないもの、これからのキャリア、人生なども考えて」
それこそ多くの人と話した。大先輩の中村憲剛、大久保嘉人、家長昭博、山村和也から、常に切磋琢磨してきた小林悠、後輩の大島僚太まで... ....。
「嘉人さんには最初『ノボリは行かんほうが良い』と言われて。嘉人さんは背中を押してくれるタイプかと思っていたので『え?』となりましたが、それは僕の立場を考えてくれたからこそで、僕がフロンターレで多くの優勝を経験させてもらったという話をすると、『それはそうだな』と。そして『フロンターレもセレッソも良いクラブやし、そこは間違いない。人も良いし、そこの心配はないから、どっちの選択をしても正解だ』と話してくれました。
ヤマくん(山村)も電話をくれて、自分の選択をする材料をくれましたし、アキくん(家長)は『ノボリが出ていくのは考えてもなかった。でも、俺の意見というよりも、フロンターレにとってノボリは特別な存在だから、その視点で考えるべきかもしれない』とアドバイスをくれました。
(中村)憲剛さんは、『ワンクラブマンとして引退することは特別だし、そうした引退の形だったからこそ見えた景色もあった』と語ってくれました。憲剛さんとはいろんな話をしましたね。
コバくん(小林悠)はずっと一緒にやって来た特別な存在で、今後もともにプレーできれば幸せでしたし、この決断に至るまでふたりで泣きました」
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