「簡単なことで涙を見せるな」父の背中を見て、そう感じ取って生きてきた
父、納谷宣雄の四十九日を終えた。
9月8日の早朝、6:36に亡くなってから7×7=49。あっという間だったのか? 長い毎日だったのか? 寂しさを乗り越えながら49日間が経ち、地元静岡にある顕光寺で法要を済ませた。
僕の親友は高校3年の時に卒業式の後、突然お父さんが亡くなり、地元のスポーツ店に就職が決まっていたのに、それを諦めてお父さんの仕事を継いだ。
そして、長男の彼は母を守りながら40年が経ち、僕と同じ58歳。
一方の僕は40年間、父の存在を日々感じながら人生を父の子供として生きた。
親友は40年前に自分自身が父を亡くし、大人の男として子供から大人の道を生きてきた。彼は親族ではないが、四十九日の法要に参列してくれた。
親族ではないが、電話で「来ないかー」と連絡を入れたら「おー、行かせてもらうわ~」と、父の車の保険を担当してくれている彼は、もちろん喜んで会いに来てくれた。
49日間はその辺で見守っていてくれた父は、もう第二の人生をたくさんの友人たちと再会して…と言っても誰も分からないことではあるが。しみじみと父が本当にいないんだと…、日に日に亡くなったという事実を実感している。
9月8日の早朝、6:36に亡くなってから7×7=49。あっという間だったのか? 長い毎日だったのか? 寂しさを乗り越えながら49日間が経ち、地元静岡にある顕光寺で法要を済ませた。
僕の親友は高校3年の時に卒業式の後、突然お父さんが亡くなり、地元のスポーツ店に就職が決まっていたのに、それを諦めてお父さんの仕事を継いだ。
そして、長男の彼は母を守りながら40年が経ち、僕と同じ58歳。
一方の僕は40年間、父の存在を日々感じながら人生を父の子供として生きた。
親友は40年前に自分自身が父を亡くし、大人の男として子供から大人の道を生きてきた。彼は親族ではないが、四十九日の法要に参列してくれた。
親族ではないが、電話で「来ないかー」と連絡を入れたら「おー、行かせてもらうわ~」と、父の車の保険を担当してくれている彼は、もちろん喜んで会いに来てくれた。
49日間はその辺で見守っていてくれた父は、もう第二の人生をたくさんの友人たちと再会して…と言っても誰も分からないことではあるが。しみじみと父が本当にいないんだと…、日に日に亡くなったという事実を実感している。
サッカーの世界は必ず勝負が決まる。試合に勝っても負ける時がある。負けても勝っていることがある。いつ勝って、いつ負けるか? 昇格、降格がある。優勝があり、順位により、戦うステージがアップしたりダウンしたりする。
厳しい、シビアな世界だ…。
「男は、泣く時は親が死んだ時だけだ…」
男がメソメソするな。
そんな簡単なことで涙を見せるな――僕は父の背中を見て(あるいはそんな躾だったのか? 教育だったのか?)、そんなふうに感じ取って生きてきた。
試合に負けて、試合に勝って、試合に出れなくて、悔しくて、泣く選手がいれば、「簡単にピッチで泣くな」と強い自分でいた。
だから日本のサッカーの一番悔しかった、悲しかった時も、引き分けてワールドカップへ行けなかった、あの時も、心は泣いていたかもしれないが、涙も出なかった。
唯一Jリーグで優勝した天皇杯でも、天皇杯を持って国立競技場のメインスタンドへ登ってカップを高々と頭上に持ち上げても、日本代表に選ばれなくても、選ばれても、決して泣くことはなかった。
Jリーグが開幕し、「プロ」選手として戦うようになってからも、また監督としても、ピッチ上の勝敗で泣くことはない。別れを惜しみ、自分の判断に感極まったり、ドラマを見て感動したりすることがあっても、簡単には涙を見せたくない。
厳しい、シビアな世界だ…。
「男は、泣く時は親が死んだ時だけだ…」
男がメソメソするな。
そんな簡単なことで涙を見せるな――僕は父の背中を見て(あるいはそんな躾だったのか? 教育だったのか?)、そんなふうに感じ取って生きてきた。
試合に負けて、試合に勝って、試合に出れなくて、悔しくて、泣く選手がいれば、「簡単にピッチで泣くな」と強い自分でいた。
だから日本のサッカーの一番悔しかった、悲しかった時も、引き分けてワールドカップへ行けなかった、あの時も、心は泣いていたかもしれないが、涙も出なかった。
唯一Jリーグで優勝した天皇杯でも、天皇杯を持って国立競技場のメインスタンドへ登ってカップを高々と頭上に持ち上げても、日本代表に選ばれなくても、選ばれても、決して泣くことはなかった。
Jリーグが開幕し、「プロ」選手として戦うようになってからも、また監督としても、ピッチ上の勝敗で泣くことはない。別れを惜しみ、自分の判断に感極まったり、ドラマを見て感動したりすることがあっても、簡単には涙を見せたくない。