「立山連峰」に理想のスタイルを見、「富士山」に故郷の憂いを案ずる。
「本物の強さを持つ美しさを感じた」
『立山連峰』を友人がそう表現してくれた。
僕が生まれ育った静岡には、日本一の山「富士山」が聳え立つ。
「富士は日本一の山」と歌われるが、子どもの頃から見慣れた「富士山」は大人になってその素晴らしさに気づいた。
しかし、50歳になって初めて目の当たりにした立山連峰には、桁違いの荒々しさを湛えた自然界の造形に、なんとも言えない、言葉に表わせない感動を覚えた。
友人が表現した「本物の強さを持った美しさ」。これが立山連峰とすればカターレ富山が目指すサッカーも、これに近い。
目標は「立山連峰」だ。
まるで有名人の結婚式に使われる『金屏風』のように、晴れた青空をバックにした「立山連峰」は、富山市の象徴だ。そして富山に来てからの2週間、そんな「立山連峰」は常にその姿をくっきりと現わしてくれるわけではない。
曇り空、雨の日、吹雪の日。
「立山連峰」は、その日の天気によって、いろんな顔を持つ。
最高の青空を背後に聳え立つ立山連峰が見えたのは、2日間の大雪が止んだ翌日のことだった。
そう簡単には姿をはっきりと見せてくれないのか――。そう思ったら、午前・午後のトレーニングの合間に見られた立山連峰を、思わず携帯でカメラに収めた。
話は変わるが、僕が生まれ育った静岡は、もちろん僕自身が愛する街のひとつだ。「サッカー王国」と呼ばれ日本サッカーを長く引っ張った地域でもある。
そして日本一の富士山に相応しくアマチュアサッカーでは数多くの日本一を達成してきた。
僕の母校である静岡学園をはじめ、清水東、清水商(現清水桜が丘)、藤枝東、浜名と伝統のある学校が高校サッカーを支え、数多くの栄冠を掴んだ。
僕が中学(中体連)時代の頃は、東海大一中や観山中が静岡のサッカーを引っ張った時期だった。
小学生時代には、全日本少年サッカー大会が始まり、初の大会で清水FCが優勝。僕が6年生の時のことだ。
そしてJリーグの発足。清水エスパルスがオリジナル10に入り、翌年、ジュビロ磐田がJリーグに参入。その両チームが富士山の様に日本一を争い、チャンピオンシップで闘いジュビロ磐田が王座に就いた……。
そんな時代を経て、静岡のサッカーが衰退したと言われる昨今である。
『立山連峰』を友人がそう表現してくれた。
僕が生まれ育った静岡には、日本一の山「富士山」が聳え立つ。
「富士は日本一の山」と歌われるが、子どもの頃から見慣れた「富士山」は大人になってその素晴らしさに気づいた。
しかし、50歳になって初めて目の当たりにした立山連峰には、桁違いの荒々しさを湛えた自然界の造形に、なんとも言えない、言葉に表わせない感動を覚えた。
友人が表現した「本物の強さを持った美しさ」。これが立山連峰とすればカターレ富山が目指すサッカーも、これに近い。
目標は「立山連峰」だ。
まるで有名人の結婚式に使われる『金屏風』のように、晴れた青空をバックにした「立山連峰」は、富山市の象徴だ。そして富山に来てからの2週間、そんな「立山連峰」は常にその姿をくっきりと現わしてくれるわけではない。
曇り空、雨の日、吹雪の日。
「立山連峰」は、その日の天気によって、いろんな顔を持つ。
最高の青空を背後に聳え立つ立山連峰が見えたのは、2日間の大雪が止んだ翌日のことだった。
そう簡単には姿をはっきりと見せてくれないのか――。そう思ったら、午前・午後のトレーニングの合間に見られた立山連峰を、思わず携帯でカメラに収めた。
話は変わるが、僕が生まれ育った静岡は、もちろん僕自身が愛する街のひとつだ。「サッカー王国」と呼ばれ日本サッカーを長く引っ張った地域でもある。
そして日本一の富士山に相応しくアマチュアサッカーでは数多くの日本一を達成してきた。
僕の母校である静岡学園をはじめ、清水東、清水商(現清水桜が丘)、藤枝東、浜名と伝統のある学校が高校サッカーを支え、数多くの栄冠を掴んだ。
僕が中学(中体連)時代の頃は、東海大一中や観山中が静岡のサッカーを引っ張った時期だった。
小学生時代には、全日本少年サッカー大会が始まり、初の大会で清水FCが優勝。僕が6年生の時のことだ。
そしてJリーグの発足。清水エスパルスがオリジナル10に入り、翌年、ジュビロ磐田がJリーグに参入。その両チームが富士山の様に日本一を争い、チャンピオンシップで闘いジュビロ磐田が王座に就いた……。
そんな時代を経て、静岡のサッカーが衰退したと言われる昨今である。