練習中に右膝半月板を損傷。手術後のリハビリと同時に筋力トレも
ゴール前に立ちはだかる姿は、半年間の思いと努力がにじみ出ていた。
プレミアリーグEAST第10節・流通経済大柏vs.前橋育英の一戦で、流経大柏の頼れる守護神デューフ・エマニエル凛太朗が今季公式戦初出場をスタメンで飾ると、安定感抜群のゴールキーピングを見せ、1−0の完封勝利に大きく貢献した。
デューフはこの年代を代表するGKの1人。191センチの高さとキャッチングの上手さ、セービング範囲の広さなどを武器に昨年から名門のレギュラーを掴み取ると、U-17日本代表に選出されるなど、注目のGKの1人となった。今年に入ってもU-17日本高校選抜に選出され、さらなる躍進が期待されていた。
しかし、U-17日本高校選抜の一員として出場予定だった3月中旬のJヴィレッジカップの2週間前、練習中に異変が起こった。ハイボールキャッチの練習をしていた際、着地と同時に右膝に違和感が走った。それでも痛みはなく、練習を続行したが、徐々に右膝は腫れ上がっていき、練習後に座っていると膝が曲がらない状態になった。
すぐに病院に行き診察を受けると、右膝の外側の半月板損傷という大怪我だった。だが、2週間安静にすれば腫れは引き、注射を打ちながらであればプレーは続行できる。Jヴィレッジカップ、その先のシーズン開幕に向けて最初は無理をしてでもやろうと思っていた。だが、榎本雅大監督とトレーナーの意見は「無理をするな」というものだった。
「正直、進路のこともあるのでかなり焦っていました。でも、監督とトレーナーさんに『いつかは手術しないといけないのだから、もっと長い目で見ろ』と言われて、『自分のサッカーがここで終わるわけではないな』と思った」
プレミアリーグEAST第10節・流通経済大柏vs.前橋育英の一戦で、流経大柏の頼れる守護神デューフ・エマニエル凛太朗が今季公式戦初出場をスタメンで飾ると、安定感抜群のゴールキーピングを見せ、1−0の完封勝利に大きく貢献した。
デューフはこの年代を代表するGKの1人。191センチの高さとキャッチングの上手さ、セービング範囲の広さなどを武器に昨年から名門のレギュラーを掴み取ると、U-17日本代表に選出されるなど、注目のGKの1人となった。今年に入ってもU-17日本高校選抜に選出され、さらなる躍進が期待されていた。
しかし、U-17日本高校選抜の一員として出場予定だった3月中旬のJヴィレッジカップの2週間前、練習中に異変が起こった。ハイボールキャッチの練習をしていた際、着地と同時に右膝に違和感が走った。それでも痛みはなく、練習を続行したが、徐々に右膝は腫れ上がっていき、練習後に座っていると膝が曲がらない状態になった。
すぐに病院に行き診察を受けると、右膝の外側の半月板損傷という大怪我だった。だが、2週間安静にすれば腫れは引き、注射を打ちながらであればプレーは続行できる。Jヴィレッジカップ、その先のシーズン開幕に向けて最初は無理をしてでもやろうと思っていた。だが、榎本雅大監督とトレーナーの意見は「無理をするな」というものだった。
「正直、進路のこともあるのでかなり焦っていました。でも、監督とトレーナーさんに『いつかは手術しないといけないのだから、もっと長い目で見ろ』と言われて、『自分のサッカーがここで終わるわけではないな』と思った」
手術することを決意したデューフは同時に、自分がさらに上に行くための筋力アップも目標に設定した。
「僕はダイビングの時にパワーが出ないと感じていたんです。これでは身体が伸び切った状態でのセーブが安定しない。自分の課題と向き合うチャンスだと思ったんです」
手術は無事に成功し、リハビリの日々がスタートした。チームメイトがボールを使った練習に励むなか、デューフはクラブハウスの前のスペースで練習の様子を時折見つめながら、黙々と筋トレを続けていた。時にはチームメイトに積極的に声をかけ、ムードメーカーとしての役割も買って出た。
しかし、デューフが離脱したチームは苦しんだ。プレミアリーグEASTでは勝ち星から見放される。第4節の柏レイソルU-18戦から第9節の青森山田戦までの6試合で、2分4敗で勝点3を掴めないでいた。
「プレミアでは試合に出ている選手たちの元気がどんどんなくなっていった。僕も積極的に声をかけたのですが、やっぱり外からと中からでは伝わり方が全然違う。みんないっぱいいっぱいになっていたし、自信をなくしていた」(デューフ)
さらにその流れのまま臨んだインターハイ予選では、準決勝で日体柏に0—3のまさかの完敗。このショッキングな結果を彼はスタンドから見つめることしかできなかった。
「(試合に出ている)木下(晴喜/2年生)はすごく頑張ってくれていた。僕が心から悔しいと思ったのは、負けたこともそうですが、あの3失点とも『俺なら止められた』と思わなかったことなんです。もし仮に僕が出ていても、木下と同じ判断をしていて、あの3点は防げなかったと思ったことが悔しかったんです。『俺なら止められた』と自信を持って言えない自分に悔しさと力不足を感じました」
「僕はダイビングの時にパワーが出ないと感じていたんです。これでは身体が伸び切った状態でのセーブが安定しない。自分の課題と向き合うチャンスだと思ったんです」
手術は無事に成功し、リハビリの日々がスタートした。チームメイトがボールを使った練習に励むなか、デューフはクラブハウスの前のスペースで練習の様子を時折見つめながら、黙々と筋トレを続けていた。時にはチームメイトに積極的に声をかけ、ムードメーカーとしての役割も買って出た。
しかし、デューフが離脱したチームは苦しんだ。プレミアリーグEASTでは勝ち星から見放される。第4節の柏レイソルU-18戦から第9節の青森山田戦までの6試合で、2分4敗で勝点3を掴めないでいた。
「プレミアでは試合に出ている選手たちの元気がどんどんなくなっていった。僕も積極的に声をかけたのですが、やっぱり外からと中からでは伝わり方が全然違う。みんないっぱいいっぱいになっていたし、自信をなくしていた」(デューフ)
さらにその流れのまま臨んだインターハイ予選では、準決勝で日体柏に0—3のまさかの完敗。このショッキングな結果を彼はスタンドから見つめることしかできなかった。
「(試合に出ている)木下(晴喜/2年生)はすごく頑張ってくれていた。僕が心から悔しいと思ったのは、負けたこともそうですが、あの3失点とも『俺なら止められた』と思わなかったことなんです。もし仮に僕が出ていても、木下と同じ判断をしていて、あの3点は防げなかったと思ったことが悔しかったんです。『俺なら止められた』と自信を持って言えない自分に悔しさと力不足を感じました」