「厳しい人で褒められた記憶はないな」
元日本代表FWの城彰二氏が、自身のYouTubeチャンネル『JOチャンネル』で、元日本代表監督の岡田武史氏との若かりし頃の思い出を回想した。
選手と監督として、日本が初出場した1998年フランス・ワールドカップで共闘した城氏と岡田氏の師弟関係が始まったのは、城氏が鹿児島実高からジェフユナイテッド市原(当時)に入団した94年に遡る。
当時、清雲栄純監督の下でコーチをしていた岡田氏に、スーパールーキーだった城氏もみっちり指導を受けたという。
「試合には出ていたけど、新人トレーニングとかが別にあって、居残りでしごかれた。シュート練習とかフィジカルとか。俺にとっては厳しい人だった。褒められた記憶はないな。もっとやれると要求が高かった」
選手と監督として、日本が初出場した1998年フランス・ワールドカップで共闘した城氏と岡田氏の師弟関係が始まったのは、城氏が鹿児島実高からジェフユナイテッド市原(当時)に入団した94年に遡る。
当時、清雲栄純監督の下でコーチをしていた岡田氏に、スーパールーキーだった城氏もみっちり指導を受けたという。
「試合には出ていたけど、新人トレーニングとかが別にあって、居残りでしごかれた。シュート練習とかフィジカルとか。俺にとっては厳しい人だった。褒められた記憶はないな。もっとやれると要求が高かった」
高卒1年目で12ゴールを挙げるなど、華々しい活躍をみせた城氏だが、2年目に不調で試合に出られない時期があり、サテライトリーグ(控えメンバーによるリーグ戦)に出場するように、命じられたことがあった。
「サテライトの監督を岡田さんがやっていて、俺もふてぶてしかったから、『ふざけんなよ、なんで俺がサテライトに出んだよ!』って言ったことがあった」
すると、岡田コーチは怒らずに、「サテライトで結果を残せ。俺はできるんだって見せろ。そしたら、すぐトップに上がれる」と奮起を促し、それに応えた城氏は2ゴール。「城はもう戻った。上にあげてくれって清雲さんに言ってくれて、すぐ上がれた」と振り返っている。
「当時18、19歳だからね。生意気だよね、岡田さんに向かって」
やんちゃだった自身に愛情を持って接してくれた岡田氏について、城氏は「面倒見がよく、人としてすごく尊敬している。よく怒られなかったと思う。受け止めながら、うまく指導してくれてたんだと思う。感謝しかない」と賛辞を並べ、こう続けている。
「すごく誠実で勉強家。あの人はすごい。俺の原点は清雲さんじゃなくて岡田さんなんだろうね。清雲さんはチャンスを与えてくれたけど、育ててくれたのは岡田さん。厳しくトレーニングしてくれて、俺のベースになった」
96年のアトランタ五輪や98年のW杯に出場し、ラ・リーガで日本人初ゴールも奪ったストライカーの素地を作ったのは、若き日の名将との厳しいトレーニングだったようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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「サテライトの監督を岡田さんがやっていて、俺もふてぶてしかったから、『ふざけんなよ、なんで俺がサテライトに出んだよ!』って言ったことがあった」
すると、岡田コーチは怒らずに、「サテライトで結果を残せ。俺はできるんだって見せろ。そしたら、すぐトップに上がれる」と奮起を促し、それに応えた城氏は2ゴール。「城はもう戻った。上にあげてくれって清雲さんに言ってくれて、すぐ上がれた」と振り返っている。
「当時18、19歳だからね。生意気だよね、岡田さんに向かって」
やんちゃだった自身に愛情を持って接してくれた岡田氏について、城氏は「面倒見がよく、人としてすごく尊敬している。よく怒られなかったと思う。受け止めながら、うまく指導してくれてたんだと思う。感謝しかない」と賛辞を並べ、こう続けている。
「すごく誠実で勉強家。あの人はすごい。俺の原点は清雲さんじゃなくて岡田さんなんだろうね。清雲さんはチャンスを与えてくれたけど、育ててくれたのは岡田さん。厳しくトレーニングしてくれて、俺のベースになった」
96年のアトランタ五輪や98年のW杯に出場し、ラ・リーガで日本人初ゴールも奪ったストライカーの素地を作ったのは、若き日の名将との厳しいトレーニングだったようだ。
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
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