「スペインに戻らないという現状を受け入れられなかった」
元日本代表FWの城彰二氏が、自身のYouTubeチャンネル『JOチャンネル』で、バジャドリー退団の真相を明かした。
1999年1月に横浜F・マリノスからラ・リーガのバジャドリーにレンタル移籍をした城氏は、半年間レギュラーとしてプレーし、15試合に出場して2得点。まずまずの評価を受けていたが、完全移籍はならず、横浜に復帰していた。
当時、故障が原因で完全移籍が破談になったとも報じられたが、「マリノスふざけんなって感じだった」と切り出した城氏は、バジャドリー残留で話が進んでいたことを明かした。
「バジャドリーのオーナーから、シーズン終了後に、『ショウジ、バカンスに(日本へ)帰って、1か月ぐらい羽を伸ばして戻ってきてくれ。俺たちは完全移籍で獲ろうと思っているから』と言われて、家もそのままにして、荷物も置いたまま戻ってきた」
【動画】アトランタ五輪での中田英寿と西野朗監督の衝突について語る城彰二
1999年1月に横浜F・マリノスからラ・リーガのバジャドリーにレンタル移籍をした城氏は、半年間レギュラーとしてプレーし、15試合に出場して2得点。まずまずの評価を受けていたが、完全移籍はならず、横浜に復帰していた。
当時、故障が原因で完全移籍が破談になったとも報じられたが、「マリノスふざけんなって感じだった」と切り出した城氏は、バジャドリー残留で話が進んでいたことを明かした。
「バジャドリーのオーナーから、シーズン終了後に、『ショウジ、バカンスに(日本へ)帰って、1か月ぐらい羽を伸ばして戻ってきてくれ。俺たちは完全移籍で獲ろうと思っているから』と言われて、家もそのままにして、荷物も置いたまま戻ってきた」
【動画】アトランタ五輪での中田英寿と西野朗監督の衝突について語る城彰二
日本に帰ってきた城氏は、家がないために千葉のホテルで生活し、スペインでの2シーズン目に向けて、トレーナーをつけて自主トレをしていたという。
「スペインでとにかくパワーをつけなきゃダメだと感じたので、上半身も下半身も強化するため、重たい筋肉につけるトレーニングをしていた。体重も4キロぐらい増えた」
だが、3週間経っても、マリノスから完全移籍が決まったという知らせが入らず、「おかしいと思って連絡したら、『交渉で時間がかかっている。待ってくれ』と言われて。1か月経ってまた確認したら、『実は交渉が決裂した』と言われた」という。
「後々聞くと、バジャドリーが金額(オファー額)を下げてきた。怪我もあったし。ただ、マリノスもジェフから俺を獲った時に金額(移籍金)がかかっているから、交渉がうまくいかなかったみたい」
いまでは納得できるが、当時24歳のストライカーには受け入れがたい事実だったようだ。「は?と思い、信じられなかった」と語っている。
「俺はスペインに戻るつもりだったし、スペイン仕様の身体にしちゃってる。心も置いてきちゃってるから、戻らないという現状を受け入れられなかった」
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「スペインでとにかくパワーをつけなきゃダメだと感じたので、上半身も下半身も強化するため、重たい筋肉につけるトレーニングをしていた。体重も4キロぐらい増えた」
だが、3週間経っても、マリノスから完全移籍が決まったという知らせが入らず、「おかしいと思って連絡したら、『交渉で時間がかかっている。待ってくれ』と言われて。1か月経ってまた確認したら、『実は交渉が決裂した』と言われた」という。
「後々聞くと、バジャドリーが金額(オファー額)を下げてきた。怪我もあったし。ただ、マリノスもジェフから俺を獲った時に金額(移籍金)がかかっているから、交渉がうまくいかなかったみたい」
いまでは納得できるが、当時24歳のストライカーには受け入れがたい事実だったようだ。「は?と思い、信じられなかった」と語っている。
「俺はスペインに戻るつもりだったし、スペイン仕様の身体にしちゃってる。心も置いてきちゃってるから、戻らないという現状を受け入れられなかった」
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