不安のシーズンが始まろうとした2012年、加入した槙野が実行したのは…
今月16日、浦和レッズDF槙野智章の今季限りでの退団がクラブから発表された。
2012年からの10年間、槙野はリーグ312試合出場(11月8日時点)。2度のステージ優勝。天皇杯優勝。そして「特別なものがあった」と語った2017年ACL優勝など、チームメイト・スタッフ、ファン・サポーターとともにタイトルを手にした。
【PHOTO】髪型にも注目!“面白すぎる”ムードメーカー、槙野智章の過去から現在を厳選ショットで振り返る!
2012年からの10年間、槙野はリーグ312試合出場(11月8日時点)。2度のステージ優勝。天皇杯優勝。そして「特別なものがあった」と語った2017年ACL優勝など、チームメイト・スタッフ、ファン・サポーターとともにタイトルを手にした。
【PHOTO】髪型にも注目!“面白すぎる”ムードメーカー、槙野智章の過去から現在を厳選ショットで振り返る!
「濃い10年だった」と振り返る槙野は、様々なものと戦った10年だったと言える。
前年の2011年、急激な若手起用に舵を切った浦和は残留争い。自信を完全に失った。翌12年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任したものの、難解な戦術が浸透するか? 不安のシーズンが始まろうとしていた。この沈滞ムードを払拭すべく、槙野は「浦和レッズを変える」と宣言した。
しかし、『何ができるんだ』と反応は冷たかった。それでも、負けなかった。まずはみんながひとつになれるようにホームゲームで勝利後、クラブを象徴する歌『We Are Diamonds』を歌うことを提案。ここから槙野改革がスタートした。
そしてポジション争い。対戦相手。時にファン・サポーターとも戦った。
浦和では応援歌=チャントは多少の活躍では生まれない。ましてや槙野は新参者。ただ、チャントができれば、浦和の選手とした認められた証拠。そのなか槙野は持ち前のプレーと変わらぬ姿勢でチャントを勝ち取った。
SNSを通じた世間というものとも戦った。ただでさえ目立つ存在。毀誉褒貶があるなか、本意でないことが伝わることもあった。以前、「フォロワーの多さが仇になるのでは?」と聞いたことがある。すると「そうは思わない」と断言したのを覚えている。
現在、ツイッターのフォロワー数、約72万。発信力に伴う世間への影響力は槙野にとって自身を律するべく、プレッシャーをかけ続けたと言える。
そして自分自身と。信条である100%を怠らないのはもちろんのこと、効率よく且つケガなく戦うため、専門家に走り方を教わり、チームメイトにも伝えた。そして「Jリーグで3本の指に入る」と豪語する居残りシュート練習。ある時はケガを抱えながら、戦い続けたこともあった。日ごろの鍛錬の証はあの引き締まった両太ももにこもっている。
クラブ、チーム、対戦相手、世間、そして自分自身。この戦う原動力はいったい何か?
前年の2011年、急激な若手起用に舵を切った浦和は残留争い。自信を完全に失った。翌12年、ミハイロ・ペトロヴィッチ監督が就任したものの、難解な戦術が浸透するか? 不安のシーズンが始まろうとしていた。この沈滞ムードを払拭すべく、槙野は「浦和レッズを変える」と宣言した。
しかし、『何ができるんだ』と反応は冷たかった。それでも、負けなかった。まずはみんながひとつになれるようにホームゲームで勝利後、クラブを象徴する歌『We Are Diamonds』を歌うことを提案。ここから槙野改革がスタートした。
そしてポジション争い。対戦相手。時にファン・サポーターとも戦った。
浦和では応援歌=チャントは多少の活躍では生まれない。ましてや槙野は新参者。ただ、チャントができれば、浦和の選手とした認められた証拠。そのなか槙野は持ち前のプレーと変わらぬ姿勢でチャントを勝ち取った。
SNSを通じた世間というものとも戦った。ただでさえ目立つ存在。毀誉褒貶があるなか、本意でないことが伝わることもあった。以前、「フォロワーの多さが仇になるのでは?」と聞いたことがある。すると「そうは思わない」と断言したのを覚えている。
現在、ツイッターのフォロワー数、約72万。発信力に伴う世間への影響力は槙野にとって自身を律するべく、プレッシャーをかけ続けたと言える。
そして自分自身と。信条である100%を怠らないのはもちろんのこと、効率よく且つケガなく戦うため、専門家に走り方を教わり、チームメイトにも伝えた。そして「Jリーグで3本の指に入る」と豪語する居残りシュート練習。ある時はケガを抱えながら、戦い続けたこともあった。日ごろの鍛錬の証はあの引き締まった両太ももにこもっている。
クラブ、チーム、対戦相手、世間、そして自分自身。この戦う原動力はいったい何か?