「ヨガやジムに通うことはもちろんいいことだけど、そのなかに、なぜ語学を加えないのか」
――セルは、母国語のスペイン語のほか、日本語、英語、韓国語、ポルトガル語を操る。その「語学力」の高さには驚かされる。
「勉強はしました。サッカーで必要だとも思いましたが、一番は、どこに行っても、誰とでも話せるようになりたいと純粋に思ったから。徹底的に勉強しました。まず18歳の時、本当かどうか結局分からなかったのですが、浦和レッズの広報の方からトゥーさん(闘莉王)は英語を話せるんだと聞いて、『俺も負けていられない』と思ったのがひょんなキッカケで、英語を習得しようと真剣に取り組みました」
――キッカケは好奇心?
「浦和にマルシオ・リシャルデスやエジミウソンが来た時、仲良くなりたいと思い、ポルトガル語を学びました。あとポンテは(エスクデロの母国語である)スペイン語で会話ができましたが、彼もポルトガル語、ドイツ語、英語ができました。彼から受けた影響も大きかったです」
――どのように勉強してきたの?
「日本語はとにかくたくさん書いて、単語や言葉を覚えました。覚えた単語を誰かが口にしたら、その発音やイントネーションも気にしたり、真似たりしていました。『〇〇いく?』と語尾を上げるとどういったニュアンスになるのか。みんなは自然に出る。でも僕はその細かさも真似るようにして覚えて、外国人特有のなまりをなくしていきました」
「勉強はしました。サッカーで必要だとも思いましたが、一番は、どこに行っても、誰とでも話せるようになりたいと純粋に思ったから。徹底的に勉強しました。まず18歳の時、本当かどうか結局分からなかったのですが、浦和レッズの広報の方からトゥーさん(闘莉王)は英語を話せるんだと聞いて、『俺も負けていられない』と思ったのがひょんなキッカケで、英語を習得しようと真剣に取り組みました」
――キッカケは好奇心?
「浦和にマルシオ・リシャルデスやエジミウソンが来た時、仲良くなりたいと思い、ポルトガル語を学びました。あとポンテは(エスクデロの母国語である)スペイン語で会話ができましたが、彼もポルトガル語、ドイツ語、英語ができました。彼から受けた影響も大きかったです」
――どのように勉強してきたの?
「日本語はとにかくたくさん書いて、単語や言葉を覚えました。覚えた単語を誰かが口にしたら、その発音やイントネーションも気にしたり、真似たりしていました。『〇〇いく?』と語尾を上げるとどういったニュアンスになるのか。みんなは自然に出る。でも僕はその細かさも真似るようにして覚えて、外国人特有のなまりをなくしていきました」
――英語は?
「英語も同じです。たくさん書いて単語を覚えていきました。あとは20歳になったあと家庭教師についてもらい、週2回、2時間会話をしてもらいました。僕がいろんなことを話して、最後に先生が間違いや気になった表現をまとめてくれるんです。その言い回しはこうなるよと教えてくれて、それを改めて読んで覚えていく。そう繰り返すことで、上達できている実感を得られました。2、3年をかけて勉強して、韓国に移籍したあと、街中でも英語で話せるようになっていきました」
――海外に移籍したあと、言葉の壁に苦しむ日本人の選手は少なくありません。
「日本では『もしも移籍が決まったら覚えればいい』『海外に行ってから覚えればいい』という選手がほとんどのように思います。スペイン語なんて、覚えたらとても強みになります。サッカー選手になれたことで、お金も同世代の中では多くもらえて、加えて時間もできるわけです。ヨガやジムに通うことはもちろんいいことだけど、そのなかに、なぜ語学を加えないのかなと思うことはありました。そこは、もったいない気がします。むしろせっかくサッカーをしているのだから、日本人の選手はそこを意識すべきだと感じます」
――そういった経験もまた、栃木に還元していくと。
「(ハン)ヨンテ、タカ(明本考浩)、(有馬)幸太郎……僕は32歳で彼らからすると絡みづらいかもしれないけど、いろんなことを話せる関係になっています。(平岡)翼、榊(翔太)……サッカーの話もいろいろしますし、意欲を感じます。何より田坂さんは横一線からの競争環境を作ってくれています。ピッチではそれぞれが声を出して、グループのようなものは作らない。全員で言い合い考える。それができています。一緒に取り組みながら、成長していきたい。京都でよく一緒にいた小屋松(知哉)、仙頭(啓矢)、岩崎(悠人)はより高いレベルに移っていきました。32歳の立場から、楽しみにしています」