勝負に敗れて見える文化の違い
ラジオ出演が決まっていたので、ブラジルの友人とやりとりをしたが、さすがブラジル……。サントス、コリンチャンスのファンは喜んでいる。
その喜び方の表現が良い。
「相手がメキシコのチームだから楽勝だと思っていたが負けてしまったよ」
「これで我々は世界一になっているが、彼らはまだなってない。それは僕らにとって幸せだよ!」
と言っていた。
まさに文化の違いだ。
果たして、Jリーグのチームが世界一決定戦に挑んだら、他チームのファンはどのようにその試合を見るのであろうか?
以前、コリンチャンスとチェルシーがクラブワールドカップの決勝を戦った日に、僕はサンパウロにいたことがあった。
サンパウロの国内の試合をサンパウロ関係者と車で向かっている時に僕が質問をした。
「南米に勝って欲しいよね。ここ数年、ずっとヨーロッパが勝ってるから。そうでしょ?」と聞くと彼はこう答えるのだ。
「まさか!? チェルシーを応援するよ」
「なんで?」と聞くと、「ヤスはFC東京を応援するか?」「お前はヴェルディだろ!」と言われた。
僕は選手ではなく、Jリーグで所属していない時期であったが、僕は「ハッ」と思った。今の立場であればFC東京を応援するであろう。それは日本サッカーの発展を示すことでもあるからだ。
しかし、ブラジルの人は生まれた時に、どこのファンかが決まっている。
サントスはサンチスタと言い。コリンチャンスはコリンチャーノと呼び、サンパウロはパウリスターノかサンパウリーノ。パルメイラスはパウメレンセと呼ぶ
このライバル意識から来る文化が選手になってもハングリーさを呼び、プロとして紙一重な所で差がついて来るのかもしれない。
また、彼らは生活の中で相手より劣っていることを認めない。それはサッカーでも同じだ。
例えば、日本は謙虚な選手が皆好きだ。だからインタビューで「自分が決めていれば…」「自分のせいで…」とセンターフォワードがテレビで国民の前で話す。その方が潔いと思うのかもしれない。
もちろん人のせいにするよりは良いが、まだ何も掴んでいない選手が言ってもピンと来ない。ペレやジーコが代表の10番を付けて言うならまだしも、若い選手はそんなことはまず言わない。いや、ペレもジーコも一生言わなかったかもしれない。
マラドーナは間違いなく言わなかっただろう……。
その喜び方の表現が良い。
「相手がメキシコのチームだから楽勝だと思っていたが負けてしまったよ」
「これで我々は世界一になっているが、彼らはまだなってない。それは僕らにとって幸せだよ!」
と言っていた。
まさに文化の違いだ。
果たして、Jリーグのチームが世界一決定戦に挑んだら、他チームのファンはどのようにその試合を見るのであろうか?
以前、コリンチャンスとチェルシーがクラブワールドカップの決勝を戦った日に、僕はサンパウロにいたことがあった。
サンパウロの国内の試合をサンパウロ関係者と車で向かっている時に僕が質問をした。
「南米に勝って欲しいよね。ここ数年、ずっとヨーロッパが勝ってるから。そうでしょ?」と聞くと彼はこう答えるのだ。
「まさか!? チェルシーを応援するよ」
「なんで?」と聞くと、「ヤスはFC東京を応援するか?」「お前はヴェルディだろ!」と言われた。
僕は選手ではなく、Jリーグで所属していない時期であったが、僕は「ハッ」と思った。今の立場であればFC東京を応援するであろう。それは日本サッカーの発展を示すことでもあるからだ。
しかし、ブラジルの人は生まれた時に、どこのファンかが決まっている。
サントスはサンチスタと言い。コリンチャンスはコリンチャーノと呼び、サンパウロはパウリスターノかサンパウリーノ。パルメイラスはパウメレンセと呼ぶ
このライバル意識から来る文化が選手になってもハングリーさを呼び、プロとして紙一重な所で差がついて来るのかもしれない。
また、彼らは生活の中で相手より劣っていることを認めない。それはサッカーでも同じだ。
例えば、日本は謙虚な選手が皆好きだ。だからインタビューで「自分が決めていれば…」「自分のせいで…」とセンターフォワードがテレビで国民の前で話す。その方が潔いと思うのかもしれない。
もちろん人のせいにするよりは良いが、まだ何も掴んでいない選手が言ってもピンと来ない。ペレやジーコが代表の10番を付けて言うならまだしも、若い選手はそんなことはまず言わない。いや、ペレもジーコも一生言わなかったかもしれない。
マラドーナは間違いなく言わなかっただろう……。