川淵が子どもたちに直接伝えたメッセージとは?
JFAでは、ハードルが高そうに見える芝をもっと手軽に植えてもらうために「ポット苗」を無償で提供する芝生モデル事業「JFAグリーンプロジェクト」を2008年に始めた。提供は募集形式で、募集者は管理のための条件を整備する必要はあるが、ポット苗の送料と人件費を負担するのみで、植え付けの指導もJFAのインストラクターが行う。
2019年には提供したポット苗の数が730万個を超え、芝生化された施設は450、総面積も約190万平方メートル、サッカーのピッチに換算すると267面にも達する。日本代表強化の拠点として千葉の海浜公園に建設中の「高円宮記念JFA夢フィールド」のピッチ1面も、ポット苗方式で養生された。
子どもたちは、芝生を前にすると必ず「でんぐり返し」をし、寝転んで歓声をあげる。数多くの完成披露に立ち合ってきた川淵も、その「大好きなシーン」でよく目を潤ませる。
2019年には提供したポット苗の数が730万個を超え、芝生化された施設は450、総面積も約190万平方メートル、サッカーのピッチに換算すると267面にも達する。日本代表強化の拠点として千葉の海浜公園に建設中の「高円宮記念JFA夢フィールド」のピッチ1面も、ポット苗方式で養生された。
子どもたちは、芝生を前にすると必ず「でんぐり返し」をし、寝転んで歓声をあげる。数多くの完成披露に立ち合ってきた川淵も、その「大好きなシーン」でよく目を潤ませる。
校庭緑化を共に夢見て実現した平賀小学校の今を訪ねた特別な日、川淵は小学校6年生たちと記念撮影を終えると「みんなはもう6年生だからちょっとお話しますね」と、予定にはなかった話を芝の校庭で始めた。子どもたちに直接話す機会などめったにないはずだ。
「僕はね、東京オリンピックに出たんだよ。それで、アルゼンチンという強い国に3対2で勝った試合で1点取った。大学受験に失敗して2年も浪人したんだけれど、浪人している間、サッカーばっかりやっていたんだ。当時のサッカーは今みたいに盛んじゃなくて、というよりとっても地味で、それにプロなんてなかったでしょう。でもこの時期、サッカーがもの凄く好きになって、本当に大好きになって……毎日、毎日練習に通った。そうしてある大会に出た時、川淵っていい選手じゃないか、早稲田大学に行ったらいいんじゃないかって言われて2浪で入学して、そこから僕のサッカー人生が始まりました。
日本リーグで選手をして、Jリーグを作ることになって、サッカー協会の会長も、バスケットボール協会にも携わった。みんなに言いたいのは、あの頃僕は何を考えていたのかなんてさっぱり覚えていないし、何になろうかだって考えてもいなかったと思う。でもね、とにかくサッカーが大好きで面白くて、楽しくって一生懸命やったんだね。だから今の人生がある。何か1つ、それがスポーツでも勉強でも音楽でも文化でも何でもいい。楽しくって、やりたくてしようがない。心からそう思えるものが見つかればいいね。頑張って下さい」
2DKのアパートで構えたJリーグ最初の事務所(千代田区・九段北)、スポーツ史に残る渡邉恒雄氏(読売新聞社当時社長)との「独裁者合戦」が始まったプレスクラブ(千代田区・日比谷)、そしてサッカー文化が全国に強い根を張る象徴的な存在となった芝を、全国に先駆けて育てた印西市・平賀小学校。
あの日、その時、この場所を巡った「小さな旅」の終わり、子どもたちは、川淵の話に身じろぎひとつせず、聞き入っていた。
取材・文:増島みどり(スポーツライター)
「僕はね、東京オリンピックに出たんだよ。それで、アルゼンチンという強い国に3対2で勝った試合で1点取った。大学受験に失敗して2年も浪人したんだけれど、浪人している間、サッカーばっかりやっていたんだ。当時のサッカーは今みたいに盛んじゃなくて、というよりとっても地味で、それにプロなんてなかったでしょう。でもこの時期、サッカーがもの凄く好きになって、本当に大好きになって……毎日、毎日練習に通った。そうしてある大会に出た時、川淵っていい選手じゃないか、早稲田大学に行ったらいいんじゃないかって言われて2浪で入学して、そこから僕のサッカー人生が始まりました。
日本リーグで選手をして、Jリーグを作ることになって、サッカー協会の会長も、バスケットボール協会にも携わった。みんなに言いたいのは、あの頃僕は何を考えていたのかなんてさっぱり覚えていないし、何になろうかだって考えてもいなかったと思う。でもね、とにかくサッカーが大好きで面白くて、楽しくって一生懸命やったんだね。だから今の人生がある。何か1つ、それがスポーツでも勉強でも音楽でも文化でも何でもいい。楽しくって、やりたくてしようがない。心からそう思えるものが見つかればいいね。頑張って下さい」
2DKのアパートで構えたJリーグ最初の事務所(千代田区・九段北)、スポーツ史に残る渡邉恒雄氏(読売新聞社当時社長)との「独裁者合戦」が始まったプレスクラブ(千代田区・日比谷)、そしてサッカー文化が全国に強い根を張る象徴的な存在となった芝を、全国に先駆けて育てた印西市・平賀小学校。
あの日、その時、この場所を巡った「小さな旅」の終わり、子どもたちは、川淵の話に身じろぎひとつせず、聞き入っていた。
取材・文:増島みどり(スポーツライター)