「国立競技場のような、夢のグラウンドが千葉にあったなんて」
しかし当時は校庭を芝生に、といっても「モデル」がなかなか見つからず、その素晴らしさを伝えようにもイメージしてもらうのが難しい。そんな2000年2月、鹿児島県指宿への出張中、偶然通過した道で、美しい芝を校庭に敷いていた池田小学校に出逢った。偶然見つけた指宿に続き、初めて手をあげ、存在を知らせてくれたのが、98年から芝の校庭を使用していた平賀小学校だった。きっかけは、近隣から寄せられた砂埃への苦情だったという。
指宿の記事を目にした同小の佐藤光利校長から「一度、うちの学校にもいらっしゃって芝をご覧になりませんか」と連絡が入った。場所を聞くと自宅がある千葉ではないか。
「まさか関東圏で、しかも同じ千葉に、こんな立派な芝生のグラウンドがあるなんて夢にも思わなかった。初めて伺ったときまるで国立競技場の芝のように美しくて立派で本当に驚いたのを覚えている。佐藤校長は芝の育成について熱心に勉強をされていて、加えて芝で運動をしてもケガをしにくいから思い切り遊べる、裸足で走れば子どもたちの発育にも良い、砂や埃がたたない、などの効果も含めて情熱を持ってらっしゃった。池田小学校と平賀小学校の発信が、校庭緑化のために大変なPRとなった。パイオニアの2校のお陰で多くの関係者が視察に訪ねたでしょう。Jリーグの夢を叶えてくれてありがとう、そういう気持ちだったね。これがその時の写真か……あぁ、若かりし頃だ」
97年、校庭を芝にする計画のスタートから、翌年の完成までのプロセスや、19年前の川淵の視察に関する記事や写真は今でも小学校の特別な部屋──「思い出ルーム」に残されている。63歳の自分を懐かしそうに追いながら、そう言った。
芝は強い反面、わずか一晩で枯れてしまうほど養生が難しい場合もある。佐藤校長は当時、種まきから日の出前の水やり、また年間20万円ほどの低予算で芝の病気や害虫の駆除に奔走した。困難な時期はあったが、佐藤校長も芝に夢をかけた。学校関係者、PTAとの長年に渡る連携で、芝と大榎の特別な風景は今、子どもたちの毎日に溶け込んでいる。
門脇英貴教頭は「皆さんに贅沢な風景といって頂きますが、うちの子どもたちは、芝の校庭を当たり前と思っていますから。ほかの学校は違うんだ、と驚くでしょうね」と笑う。「ワールドカップ」で子どもたちからも人気を集めたラグビーも、楽しめる環境はまだ整備されていない。しかし平賀の子どもたちは休み時間になると当たり前のように「きょうはラグビーやろうよ」と誘い合うのだという。
2つの小学校が発信した波及効果は大きく、Jリーグの緑化プロジェクトはその後、川淵が2002年、日本サッカー協会(JFA)会長に就任してから自治体にも次々と広まっていった。子どもたちの心身の成長に着目した石原都政下では、公立全小学校の緑化を目標に、現在では公立小学校約280校が緑化され、小笠原諸島の2島、伊豆9島のうち8島の小学校にも芝生の校庭が整備された。
指宿の記事を目にした同小の佐藤光利校長から「一度、うちの学校にもいらっしゃって芝をご覧になりませんか」と連絡が入った。場所を聞くと自宅がある千葉ではないか。
「まさか関東圏で、しかも同じ千葉に、こんな立派な芝生のグラウンドがあるなんて夢にも思わなかった。初めて伺ったときまるで国立競技場の芝のように美しくて立派で本当に驚いたのを覚えている。佐藤校長は芝の育成について熱心に勉強をされていて、加えて芝で運動をしてもケガをしにくいから思い切り遊べる、裸足で走れば子どもたちの発育にも良い、砂や埃がたたない、などの効果も含めて情熱を持ってらっしゃった。池田小学校と平賀小学校の発信が、校庭緑化のために大変なPRとなった。パイオニアの2校のお陰で多くの関係者が視察に訪ねたでしょう。Jリーグの夢を叶えてくれてありがとう、そういう気持ちだったね。これがその時の写真か……あぁ、若かりし頃だ」
97年、校庭を芝にする計画のスタートから、翌年の完成までのプロセスや、19年前の川淵の視察に関する記事や写真は今でも小学校の特別な部屋──「思い出ルーム」に残されている。63歳の自分を懐かしそうに追いながら、そう言った。
芝は強い反面、わずか一晩で枯れてしまうほど養生が難しい場合もある。佐藤校長は当時、種まきから日の出前の水やり、また年間20万円ほどの低予算で芝の病気や害虫の駆除に奔走した。困難な時期はあったが、佐藤校長も芝に夢をかけた。学校関係者、PTAとの長年に渡る連携で、芝と大榎の特別な風景は今、子どもたちの毎日に溶け込んでいる。
門脇英貴教頭は「皆さんに贅沢な風景といって頂きますが、うちの子どもたちは、芝の校庭を当たり前と思っていますから。ほかの学校は違うんだ、と驚くでしょうね」と笑う。「ワールドカップ」で子どもたちからも人気を集めたラグビーも、楽しめる環境はまだ整備されていない。しかし平賀の子どもたちは休み時間になると当たり前のように「きょうはラグビーやろうよ」と誘い合うのだという。
2つの小学校が発信した波及効果は大きく、Jリーグの緑化プロジェクトはその後、川淵が2002年、日本サッカー協会(JFA)会長に就任してから自治体にも次々と広まっていった。子どもたちの心身の成長に着目した石原都政下では、公立全小学校の緑化を目標に、現在では公立小学校約280校が緑化され、小笠原諸島の2島、伊豆9島のうち8島の小学校にも芝生の校庭が整備された。