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高校でサッカー部に入らず「遊んで暮らしていた」土屋征夫は、いかにしてプロ選手となり45歳まで現役を続けられたのか?

カテゴリ:特集

小須田泰二

2019年11月06日

「テツさん(柱谷哲二)から褒めてもらったのは嬉しかったですね。怒られた思い出しかなかったんで」

現在は指導者としての新たなチャレンジを見据える。DF専門のコーチにも興味があるという。写真:小須田泰二

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 土屋の原点でもある1997年のヴェルディ時代。練習生だった土屋がもっとも恐れた存在であり、ディフェンダーとしての“イロハ”を教わった恩師でもある柱谷哲二から先日、「あんなに下手くそだったのに、よくここまでやってきた。よく頑張ったな」と、初めてお褒めの言葉をもらった。

「テツさん(柱谷哲二)から褒めてもらったのは嬉しかったですね。怒られた思い出しかなかったんで。テツさんだけでなく、これまでたくさんの偉大な先輩と一緒にプレーさせてもらっていろいろ学ばせてもらいました。そんな人たちよりも長くプレーすることができたのは、自分にとってすごく誇りですね。まさか、こんな歳までやってこられるなんて自分自身も思っていませんでしたから。心残りがあるとすれば、日本代表になれなかったことですが、やり切った!という気持ちの方が強いです」

 25年間のキャリアを終えたばかりの土屋だが、すでに次なる夢へと走り始めている。

「引退してからも週3日のチーム練習に参加して、東京23FCのコーチをさせてもらっています。次の目標は、指導者になること。ディフェンダー専門のコーチになりたいなって、漠然とですが、そう思っています。監督もやってみたいとは思いますが、僕はどっちのタイプなのか分からないんです。こういう話も親父が生きていたら相談したかったですね。現役時代、移籍するときは必ず相談していました。『このクラブへの移籍どうかな?』と聞いても、いつも親父は『いいんじゃない?』って言うだけなんですけどね。でも、親父が『いいんじゃない?』と言ってくれるだけで、困難に立ち向かっていける。勇気をもらえるような存在でした。現在6人の子どもがいますが、僕もそういう父親になりたいですね」

取材・文●小須田泰二(フリーライター)

■プロフィール
土屋征夫(つちや・ゆきお)/1974年7月31日生まれ、東京都出身。高校卒業後、ブラジルに渡り、ノロエスチ、インテルナシオナル、バフェットス(以下ブラジル)でプレー。97年に帰国し、V川崎(現・東京V)に加入。その後、神戸、柏、大宮、東京V、甲府、京都を経て、18年より関東リーグ1部の東京23FCでプレーした。J1通算330試合・15得点、J2通算181試合・13得点。公式戦通算583試合に出場。愛称は「バウル」。
 
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