重要な試合で力を発揮できる“メンタル面の準備”が必要だ。
先のブラジル・ワールドカップがいい例だ。日本選手は初戦のコートジボワール戦を前に気持ちが高まっていたし、試合の重要性も痛いほど分かっていた。しかし、だからこそ動きが硬くなり、キレを欠いた。
それとは対照的に、そもそも当然起こりうるはずの緊張感や気持ちの高まりがあったのかどうか疑わしいのが、U-16アジア選手権の準々決勝で韓国に敗れたU-16代表だ。
試合後、ピッチ上でさほど悔しさを見せることのなかった選手たちは、バスに乗り込んでからも韓国選手と笑顔で手を振り合っていた。それまでに何度も手合せし、気心が知れ、仲良くなっていたのだろう。だとしても、彼らの様子を見ていると、この試合で勝つと負けるとではどれほどの違いがあるのかを正しく理解していたとは、とても思えなかった。
ある意味において、彼らは平常心で戦っていたのかもしれない。だが、そのことが重要な一戦に臨むに当たってプラスに作用したとは考えにくい。メンタル面で正しい準備をしていたならば、試合後にこうした反応にはならなかったはずである。
これに関連して最近の育成年代の選手を見ていて気になるのは、感情表現の乏しさだ。
勝ってもさして喜ばず、負けてもさほど悔しがる様子はない。本人にしてみれば、感情を抑えて平常心で戦っている、という感覚なのかもしれないが、実際のところはやせ我慢や無感情に近く、結果として感情の高ぶりをパワーに変えることの妨げになっているのではないだろうか。
“勝負弱さ”は世代を問わず、しばしば指摘される日本の弱点だが、そこにはこうしたメンタル面の問題が大きく影響しているように思う。
サッカーにおいて、技術、戦術が重要なのは言うまでもないが、それらを実践するのは生身の人間である。その人間が存分に力を発揮できるだけの精神状態になければ、どんなに優れた技術や戦術も宝の持ち腐れでしかない。
特に慣れない環境で行なわれる国際試合においては、メンタル面での準備をいかに整えておくかが勝負の分かれ目でもある。劣悪なピッチコンディションでミスを多発するなど、日本の選手がアウェーゲームになると途端にひ弱さを露呈するのも、メンタル面の影響と無関係ではあるまい。
以前に比べて他国が力をつけ、日本のアドバンテージが小さなものになっている(あるいは、なくなっている)以上、メンタル面の問題に対してもっと繊細であるべきだ。そうでなければ、いつまで経っても同じことを繰り返すばかりである。
文:浅田真樹(スポーツライター)
それとは対照的に、そもそも当然起こりうるはずの緊張感や気持ちの高まりがあったのかどうか疑わしいのが、U-16アジア選手権の準々決勝で韓国に敗れたU-16代表だ。
試合後、ピッチ上でさほど悔しさを見せることのなかった選手たちは、バスに乗り込んでからも韓国選手と笑顔で手を振り合っていた。それまでに何度も手合せし、気心が知れ、仲良くなっていたのだろう。だとしても、彼らの様子を見ていると、この試合で勝つと負けるとではどれほどの違いがあるのかを正しく理解していたとは、とても思えなかった。
ある意味において、彼らは平常心で戦っていたのかもしれない。だが、そのことが重要な一戦に臨むに当たってプラスに作用したとは考えにくい。メンタル面で正しい準備をしていたならば、試合後にこうした反応にはならなかったはずである。
これに関連して最近の育成年代の選手を見ていて気になるのは、感情表現の乏しさだ。
勝ってもさして喜ばず、負けてもさほど悔しがる様子はない。本人にしてみれば、感情を抑えて平常心で戦っている、という感覚なのかもしれないが、実際のところはやせ我慢や無感情に近く、結果として感情の高ぶりをパワーに変えることの妨げになっているのではないだろうか。
“勝負弱さ”は世代を問わず、しばしば指摘される日本の弱点だが、そこにはこうしたメンタル面の問題が大きく影響しているように思う。
サッカーにおいて、技術、戦術が重要なのは言うまでもないが、それらを実践するのは生身の人間である。その人間が存分に力を発揮できるだけの精神状態になければ、どんなに優れた技術や戦術も宝の持ち腐れでしかない。
特に慣れない環境で行なわれる国際試合においては、メンタル面での準備をいかに整えておくかが勝負の分かれ目でもある。劣悪なピッチコンディションでミスを多発するなど、日本の選手がアウェーゲームになると途端にひ弱さを露呈するのも、メンタル面の影響と無関係ではあるまい。
以前に比べて他国が力をつけ、日本のアドバンテージが小さなものになっている(あるいは、なくなっている)以上、メンタル面の問題に対してもっと繊細であるべきだ。そうでなければ、いつまで経っても同じことを繰り返すばかりである。
文:浅田真樹(スポーツライター)