「チーム数が増えた今、親会社がしっかりしていないクラブは苦労している」(セルジオ越後)
越後 僕がこれまでJリーグを見ていて気になるのはクラブの社長です。彼らの多くは、親会社(前身のチームを保有していた企業)からの出向で、本当に来たかったのか、いつまでいるのかも分からない。本社から行けと言われ、地元の名士ではないから地盤もなく、存在感を出せていない。
村井 私は昨日、鳥取に行っていたんです。就任以来、全51クラブを回る活動の一環としてですが、社長の塚野さんは元Jリーグでプレーした人。彼は先日、今年からGMに就任した岡野さんとタッグを組み、フェルナンジーニョを獲得するために魚を売って話題を作りました。そして12年に完成したチュウブYAJINスタジアムというのも、打ち下ろしの9ホールのゴルフ場を、行政の持ち物としてではなく、市民で穴を掘ってサッカー専用のスタジアムを造った。
要は情熱があってアイデアもあるのです。もちろん、それだけではなく、予算管理を含め企業としての組織整備と強化もバランスよく統括する必要はあるのですが。そういう地域に根差した経営者が育ち始めているのです。私はサッカー界に、プレーヤーとしては一流ではなかったかもしれないけど、人望やリーダーシップがある人はたくさんいると思っているので、そういう人を経営者としてトレーニングして、どんどん登用できればと思っているんです。
越後 親会社を持たないチームには、そういういい経営者がいるものです。岡山にもいい経営者がいますよね? 甲府にもいる。つまり、本社の人事で来ていない社長は経営者で、それ以外は管理者のように僕には見えるんです。
村井 本社の人事でクラブに来ていても、骨を埋める覚悟で、自立した考えを持ってやっている社長はいます。一方で、先ほど挙げたようなプロサッカークラブの経営者として、優秀な人材が育ってきているのも事実です。私は以前、海外でヘッドハンターの仕事もしていたので、今後要望が高まれば、Jリーグとして優秀な人材を他のクラブに紹介していくことも、できる可能性があると思っています。
越後 でも、親会社のあるチームが、社外の人間を社長として引っ張ってくるというのは、あまり聞いたことがないですね。そもそも、親会社は本業の商品を売るためにサッカーをやっていない。だから、そこに優秀な経営者を置こうという目線で見ていない気がする。
ヴェルディは昔、あれほどの人気チームだったのに、どうしてこんなに規模が小さくなったのか。横浜フリューゲルスはなぜ消滅したのか。いずれも、親会社が撤退したからですね。そして一度、どこかが撤退すると代わりに上に立つ大企業が現われない。そこが、Jリーグが構造的に「プロの文化」になっていないと感じるところです。
アントラーズは住友金属(現・新日鐵住金)があったから、人口約6万5000人の鹿嶋市をホームタウンにしても強い。世界的に見たら、人口が10万人に満たない町のクラブが、100万人や200万人もいるような大都市のクラブに勝ち続け、リーグ最多のタイトルを獲っているのはあり得ないこと。
要するに、Jリーグが掲げる地域密着はまだ文化的な部分でできていない。そこに親会社があるからクラブが作られ、強化できているだけ。だからチーム数が増えた今、親会社がしっかりしていないところは苦労しているんです。
村井 確かに予算規模の大きな、いわゆる「オリジナル10」(注/92年のJリーグ発足時に加盟した10クラブ)のクラブの多くが、親会社の支援を前提とした構造にあるのは事実です。一方で先ほど述べた鳥取や岡山、甲府など、多くの小口スポンサーや市民に支えられ、地域型クラブとして成長路線を歩むクラブが生まれているのも事実なんです。
もちろん、これまで企業が撤退したことでクラブの屋台骨がぐらついた過去があるので、ひとつの企業の動向にクラブ運営が左右されない基盤作りをしなくてはなりません。各クラブは今、様々なアイデアを出してホームタウン活動を行なっていて、昨年は40クラブが年間4000回も実施したんです。1クラブあたり年間100回、1年は50週あるので、週に2日はホームタウン活動を行なっている計算になります。規模の大きなクラブも含めてそうした地域に根差した経営努力は、全クラブがそれぞれのやり方で懸命に行なっているのです。
取材・文:谷沢直也(週刊サッカーダイジェスト編集長)
【後編】に続く――
■プロフィール■
むらい・みつる/1959年8月2日生まれ、埼玉県川越市出身。早稲田大卒業後、日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)に入社。同社執行役員、リクルートエージェント(現リクルートキャリア)社長などを歴任。08年から日本プロサッカーリーグ理事(非常勤)を務め、2014年1月にJリーグ第5代チェアマンに就任した。
セルジオ・えちご/1945年7月28日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身の日系2世。18歳でコリンチャンスと契約し、ブラジル代表候補にも選ばれた名手。72年に来日後は藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。引退後は「さわやかサッカー教室」で全国を回り、サッカーの普及に尽力。『週刊サッカーダイジェスト』で連載中のコラム「天国と地獄」は辛口で人気を博す。
村井 私は昨日、鳥取に行っていたんです。就任以来、全51クラブを回る活動の一環としてですが、社長の塚野さんは元Jリーグでプレーした人。彼は先日、今年からGMに就任した岡野さんとタッグを組み、フェルナンジーニョを獲得するために魚を売って話題を作りました。そして12年に完成したチュウブYAJINスタジアムというのも、打ち下ろしの9ホールのゴルフ場を、行政の持ち物としてではなく、市民で穴を掘ってサッカー専用のスタジアムを造った。
要は情熱があってアイデアもあるのです。もちろん、それだけではなく、予算管理を含め企業としての組織整備と強化もバランスよく統括する必要はあるのですが。そういう地域に根差した経営者が育ち始めているのです。私はサッカー界に、プレーヤーとしては一流ではなかったかもしれないけど、人望やリーダーシップがある人はたくさんいると思っているので、そういう人を経営者としてトレーニングして、どんどん登用できればと思っているんです。
越後 親会社を持たないチームには、そういういい経営者がいるものです。岡山にもいい経営者がいますよね? 甲府にもいる。つまり、本社の人事で来ていない社長は経営者で、それ以外は管理者のように僕には見えるんです。
村井 本社の人事でクラブに来ていても、骨を埋める覚悟で、自立した考えを持ってやっている社長はいます。一方で、先ほど挙げたようなプロサッカークラブの経営者として、優秀な人材が育ってきているのも事実です。私は以前、海外でヘッドハンターの仕事もしていたので、今後要望が高まれば、Jリーグとして優秀な人材を他のクラブに紹介していくことも、できる可能性があると思っています。
越後 でも、親会社のあるチームが、社外の人間を社長として引っ張ってくるというのは、あまり聞いたことがないですね。そもそも、親会社は本業の商品を売るためにサッカーをやっていない。だから、そこに優秀な経営者を置こうという目線で見ていない気がする。
ヴェルディは昔、あれほどの人気チームだったのに、どうしてこんなに規模が小さくなったのか。横浜フリューゲルスはなぜ消滅したのか。いずれも、親会社が撤退したからですね。そして一度、どこかが撤退すると代わりに上に立つ大企業が現われない。そこが、Jリーグが構造的に「プロの文化」になっていないと感じるところです。
アントラーズは住友金属(現・新日鐵住金)があったから、人口約6万5000人の鹿嶋市をホームタウンにしても強い。世界的に見たら、人口が10万人に満たない町のクラブが、100万人や200万人もいるような大都市のクラブに勝ち続け、リーグ最多のタイトルを獲っているのはあり得ないこと。
要するに、Jリーグが掲げる地域密着はまだ文化的な部分でできていない。そこに親会社があるからクラブが作られ、強化できているだけ。だからチーム数が増えた今、親会社がしっかりしていないところは苦労しているんです。
村井 確かに予算規模の大きな、いわゆる「オリジナル10」(注/92年のJリーグ発足時に加盟した10クラブ)のクラブの多くが、親会社の支援を前提とした構造にあるのは事実です。一方で先ほど述べた鳥取や岡山、甲府など、多くの小口スポンサーや市民に支えられ、地域型クラブとして成長路線を歩むクラブが生まれているのも事実なんです。
もちろん、これまで企業が撤退したことでクラブの屋台骨がぐらついた過去があるので、ひとつの企業の動向にクラブ運営が左右されない基盤作りをしなくてはなりません。各クラブは今、様々なアイデアを出してホームタウン活動を行なっていて、昨年は40クラブが年間4000回も実施したんです。1クラブあたり年間100回、1年は50週あるので、週に2日はホームタウン活動を行なっている計算になります。規模の大きなクラブも含めてそうした地域に根差した経営努力は、全クラブがそれぞれのやり方で懸命に行なっているのです。
取材・文:谷沢直也(週刊サッカーダイジェスト編集長)
【後編】に続く――
■プロフィール■
むらい・みつる/1959年8月2日生まれ、埼玉県川越市出身。早稲田大卒業後、日本リクルートセンター(現リクルートホールディングス)に入社。同社執行役員、リクルートエージェント(現リクルートキャリア)社長などを歴任。08年から日本プロサッカーリーグ理事(非常勤)を務め、2014年1月にJリーグ第5代チェアマンに就任した。
セルジオ・えちご/1945年7月28日生まれ、ブラジル・サンパウロ出身の日系2世。18歳でコリンチャンスと契約し、ブラジル代表候補にも選ばれた名手。72年に来日後は藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。引退後は「さわやかサッカー教室」で全国を回り、サッカーの普及に尽力。『週刊サッカーダイジェスト』で連載中のコラム「天国と地獄」は辛口で人気を博す。