千代反田「アサヒはスーパードライが有名だけど、ワインも扱ってる。海外のメーカーと提携したり会社ごと買収したりもして。会社では酒類の検定というかテストをみんな受けてて、自分はまだいちばん優しいのをひとつ受かっただけ。お酒の勉強ももっと頑張らないといけないんで」
──大企業ともなると、転勤や人事異動もありますよね。どういうキャリアプランですか?
千代反田「僕はまず、ずっと永く続けること。現役の最後の3年間は毎年チームを変わることになって、やっぱり短期間ではできることが限られてしまった。ああいうのはもうぜったいイヤなんです。配属された部署でしっかり頑張りながら、どんな形でもいいからスポーツのために仕事ができたらいいなという想いはあります」
宮原「“スポーツ”じゃなくて、“サッカー”って言ってほしいよね。サッカーに特化していいんじゃない、それが強みだし、お前にしかできないと俺は思うんだけど」
千代反田「会社もチャレンジしてくれてる、きっと。会社員経験のない35歳過ぎの人間を社会人スポーツ部枠とかじゃなく、ふつうに採用するんですから。自分がそうとう頑張らないと、今後そういう人材は採りたくない、ってなる。たとえば、こういった取材依頼があった時にどうするかも、前例がない。最初は上司に一つひとつ申請してたけど、そのうち、ボランティアも含めて会社のためになることだったらいいよと、ある程度判断を任せてもらうようになってきた。近い目標では、東京オリンピック・パラリンピックです。うちの会社はゴールドパートナー企業なんです。オリンピック専門の部門もありますし、宣伝のような部門もある。でもその部署の仕事が、具体的にスポーツをやるひとたちに直接何かできる部署かどうかは分からないですから」
──そうですね、実際は一日中契約書をずっと作るのが仕事かもしれないですよね。
千代反田「だから、2020年にはどの部門にいても、その場所で何かスポーツを応援できるような仕事ができるようになっていたい」
──宮原さんはずっと言っているように、30代のうちにトップチームの監督になるのが目標ですよね。
宮原「でも、今ちょうど育成の中期計画を自分で作っていて。チームを強くするにはこういう方法もあるんだと知って、面白くなってる。チームのスタイルを決める部分を企画できるわけで。自分が作った中期計画を自分でやり切るとなると、時間的に30代監督は難しいのかな……。目標は変わっていくものだから。トップの監督はテストを受けてなれるわけじゃないしタイミングと縁なんで」
──金古さんは、まずは選手権出場。インターハイ予選は負けてしまいました。
金古「切り替えて、選手権予選がんばります」
──なにか学校側からのタスクというか監督としての評価基準はあるんですか? いつまでに選手権出場とか、年間何勝とか。
金古「とくに言われてないです。でも自分なりに考えて、おそらく、選手や生徒を多く集めることと、イメージを変えていくことなんじゃないかと。指導者としては素人同然だった自分に声をかけてくれた。だからまず、ユニフォームをブルーから赤に変えました(笑)。もちろん、ヒガシの志波(芳則)総監督には電話して許可をもらってます。今年は1年生が45人も入ってくれて、そのうち38人は僕が直接面談した選手です。選手権出場という目標も、実際に選手権に出ている自分が言っていけば現実味が出ます。巧い選手が多いんで、ここからは“強い”チームにしていきたい」
<中編につづく>
取材・構成●佐藤香織(フリーランス)
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PROFILE
宮原裕司(みやはら・ゆうじ)/1980年7月19日生まれ、福岡県北九州市出身。ポジションは攻撃的MF。180センチ。東福岡高-名古屋-福岡-鳥栖-C大阪-鳥栖-愛媛-福岡。Jリーグ通算189試合出場・6得点(J1は14試合・0得点)。現在は福岡育成普及部アカデミーヘッドオブコーチ/U-15監督。
金古聖司(かねこ・せいじ)/1980年5月27日生まれ、福岡県久留米市出身。ポジションはCB。180センチ。東福岡高-鹿島-神戸-福岡-名古屋-鹿島-タンピネス(シンガポール)-ミトラ(インドネシア)-タンピネス-アーントン(タイ)-ヤンゴン(ミャンマー)。Jリーグ通算73試合・5得点(J1)。現在は埼玉・本庄第一高校サッカー部監督。
千代反田充(ちよたんだ・みつる)/1980年6月1日生まれ、福岡県福岡市出身。ポジションはCB。183センチ。東福岡高-福岡-新潟-名古屋-磐田-徳島。Jリーグ通算291試合・20得点(J1は173試合・6得点)。現在はアサヒビール株式会社・東京統括支社東京支店課長補佐として営業職に就く。
