「カルチョの世界の外に留まるのが俺の運命なのか」とため息交じりに…。
「私が思うような仕事をする可能性を与えてもらえなかった。地位に対する執着は一切ない。与えられた役割の中で、子供たちを育成するための基盤を整備する仕事に取り組もうと試みたが、その提案を受け入れてもらえなかった。私が2011年12月に提出した900ページもの最終提案書は、死蔵されたままになっている」
バッジョは辞任の際に国営放送局『RAI』の取材でそうコメント。これに対して当時のFIGC副会長で、イタリア代表やミランではチームメイトだったデメトリオ・アルベルティーニは、「親愛なるロベルト、変革の機会を逃したのはあなたの方だ」という公開書簡を出して反論している。
実はバッジョは、FIGCの職にあった2011年から12年にかけて、自らがトップを努める技術セクションの傘下にある監督学校でUEFA-A、そしてUEFA-Proのコーチライセンスを取得している。UEFA-Proコーチライセンス講習は年間30名の人数制限がある狭き門だが、イタリア代表としてワールドカップかEUROに出場実績がある元選手については別枠で受講資格が与えられるという特例がある。ちなみに、卒業論文のテーマは4-3-3システムだった。
FIGCを辞してから1年後の2014年1月には、ステーファノ・ピオーリ(現インテル監督)を解任したボローニャから水面下で監督就任を打診されてこれを受諾し、就任直前までいったという事実があったことも、最近になって明らかになった。
しかしクラブ首脳陣は、最後の最後になってダビデ・バッラルディーニを監督に選び、バッジョがサッカー界に主役として復帰する道は閉ざされることになった。
当時バッジョは、親しい関係にあるベテラン・ジャーナリストのイバン・ザッザローニに「カルチョの世界の外に留まるのが俺の運命ってことなのか」とため息交じりに語ったという。事実、その後もバッジョはサッカー界から距離を置き続けている。
そのザッザローニは、『ラ・レプブリカ』紙の取材にこんなコメントを残している。
「ロビー(バッジョの愛称)が一番怖れているのは、自らのイメージを汚すことだ。妥協するようなタイプじゃないからね。TVからは山ほどオファーが来ているけれど、すべて断っている。つまるところ、表舞台からきれいさっぱり身を引くという振る舞いこそが、バッジョが今までしてきた中で一番甘美なことなのかもしれない。サッカーを心から愛するがゆえのことなのだから」
文:片野道郎
バッジョは辞任の際に国営放送局『RAI』の取材でそうコメント。これに対して当時のFIGC副会長で、イタリア代表やミランではチームメイトだったデメトリオ・アルベルティーニは、「親愛なるロベルト、変革の機会を逃したのはあなたの方だ」という公開書簡を出して反論している。
実はバッジョは、FIGCの職にあった2011年から12年にかけて、自らがトップを努める技術セクションの傘下にある監督学校でUEFA-A、そしてUEFA-Proのコーチライセンスを取得している。UEFA-Proコーチライセンス講習は年間30名の人数制限がある狭き門だが、イタリア代表としてワールドカップかEUROに出場実績がある元選手については別枠で受講資格が与えられるという特例がある。ちなみに、卒業論文のテーマは4-3-3システムだった。
FIGCを辞してから1年後の2014年1月には、ステーファノ・ピオーリ(現インテル監督)を解任したボローニャから水面下で監督就任を打診されてこれを受諾し、就任直前までいったという事実があったことも、最近になって明らかになった。
しかしクラブ首脳陣は、最後の最後になってダビデ・バッラルディーニを監督に選び、バッジョがサッカー界に主役として復帰する道は閉ざされることになった。
当時バッジョは、親しい関係にあるベテラン・ジャーナリストのイバン・ザッザローニに「カルチョの世界の外に留まるのが俺の運命ってことなのか」とため息交じりに語ったという。事実、その後もバッジョはサッカー界から距離を置き続けている。
そのザッザローニは、『ラ・レプブリカ』紙の取材にこんなコメントを残している。
「ロビー(バッジョの愛称)が一番怖れているのは、自らのイメージを汚すことだ。妥協するようなタイプじゃないからね。TVからは山ほどオファーが来ているけれど、すべて断っている。つまるところ、表舞台からきれいさっぱり身を引くという振る舞いこそが、バッジョが今までしてきた中で一番甘美なことなのかもしれない。サッカーを心から愛するがゆえのことなのだから」
文:片野道郎