バトンを繋いでいく積み重ねが強いクラブを作っていくのでは
UAEの時刻で22時、日本時間では深夜3時頃、23-24シーズンのACL王者が決まり、優勝セレモニーが繰り広げられるなか、飯尾はある選手の振る舞いに目を奪われていた。
ゴール裏から声援を送ってくれたF・マリノスのファン・サポーターたちと真摯に向き合い、深々とお辞儀をしているのは、キャプテンの喜田拓也だ。小学生の頃からF・マリノス一筋というクラブ生え抜きの喜田を、飯尾はコーチとして直接指導したわけではないが、そのキャプテンシーはよく知っている。
誰よりもリーダーシップがあり、責任感が強く、献身的。クラブ愛が深く、ファン・サポーターを大事にしているからこそ、強烈な無念を背負い込む喜田の背中を、飯尾はその目に焼き付けた。
誰の人生にも無数の「もし」がある。飯尾の父は中学校の教員で、野球部の顧問でもあった。実家の居間ではプロ野球中継が流れていて、2歳年下の弟は野球部に入部した。子どもたちの意思を尊重し、息子のひとりにはサッカー一色の少年時代を過ごさせてくれたその父親に、飯尾は一度だけ強く諭されたことがある。
大学生の飯尾は卒業後の進路として、父親と同じ教員という選択肢も持っていた。教員そのものというよりは、サッカー部の顧問になれたらいいと。
「教師になって、お前は何がしたいんだ? クラスの担任を任されたら、サッカー部以外の生徒のこともきちんと見てあげなければいけない。教員の使命を、勘違いしているのではないか?」
大事なのは生徒一人ひとりとどう向き合い、どのように指導していくか。父親からのその助言もまた、学校の教員ではない道へと飯尾を導いた。
23-24シーズンのACLアウェー事前視察で5か国・6都市を訪れた飯尾は、サッカーが持つ力を何度も目の当たりにしたと振り返る。中国で、フィリピンで、タイで、このスポーツは現地の人々を熱狂させていた。
ACLが惜しくも準優勝に終わったあとも、飯尾は考えている。日本でもサッカーが生活の一部として浸透している未来へ、日産スタジアムをいつも満員にできている横浜F・マリノスの未来へ、自分に何ができるのか――。
ゴール裏から声援を送ってくれたF・マリノスのファン・サポーターたちと真摯に向き合い、深々とお辞儀をしているのは、キャプテンの喜田拓也だ。小学生の頃からF・マリノス一筋というクラブ生え抜きの喜田を、飯尾はコーチとして直接指導したわけではないが、そのキャプテンシーはよく知っている。
誰よりもリーダーシップがあり、責任感が強く、献身的。クラブ愛が深く、ファン・サポーターを大事にしているからこそ、強烈な無念を背負い込む喜田の背中を、飯尾はその目に焼き付けた。
誰の人生にも無数の「もし」がある。飯尾の父は中学校の教員で、野球部の顧問でもあった。実家の居間ではプロ野球中継が流れていて、2歳年下の弟は野球部に入部した。子どもたちの意思を尊重し、息子のひとりにはサッカー一色の少年時代を過ごさせてくれたその父親に、飯尾は一度だけ強く諭されたことがある。
大学生の飯尾は卒業後の進路として、父親と同じ教員という選択肢も持っていた。教員そのものというよりは、サッカー部の顧問になれたらいいと。
「教師になって、お前は何がしたいんだ? クラスの担任を任されたら、サッカー部以外の生徒のこともきちんと見てあげなければいけない。教員の使命を、勘違いしているのではないか?」
大事なのは生徒一人ひとりとどう向き合い、どのように指導していくか。父親からのその助言もまた、学校の教員ではない道へと飯尾を導いた。
23-24シーズンのACLアウェー事前視察で5か国・6都市を訪れた飯尾は、サッカーが持つ力を何度も目の当たりにしたと振り返る。中国で、フィリピンで、タイで、このスポーツは現地の人々を熱狂させていた。
ACLが惜しくも準優勝に終わったあとも、飯尾は考えている。日本でもサッカーが生活の一部として浸透している未来へ、日産スタジアムをいつも満員にできている横浜F・マリノスの未来へ、自分に何ができるのか――。
「ありがたいことに、僕らは次のチャンスを掴(つか)んでいます」
9月に開幕する24-25シーズンのACLエリート(新たなフォーマットとなるAFCコンペティションの最上位の大会)だ。飯尾の気持ちはすでに決まっている。
「チームマネージャーとしての経験を通して得られた知見を、繋いでいかなければならないと思うようになりました。次のACLエリートから、チームマネージャーは彩貴(鈴木)に担当してもらい、自分はサポートに回るつもりです」
チームマネージャーの職務に伴う権限の大きな価値を実感できたからこそ、それを早期に移譲するという前向きな選択なのだろうか?
「そのとおりです。貴重な何かを得られる役割だからこそ、別のスタッフに繋ぎたい。おそらくバトンを繋いでいくその積み重ねが、強いクラブを作っていくのではないでしょうか。みんなで作り上げていくのが、強さだと思っているので」
コーチとして普及に携わり、運営を担当し、チームマネージャーも務めた飯尾はその折々で実感してきたのだろう。サッカーには様々な携わり方があることを。プレーする、指導する、場を提供する、調整する、観る、支える、語り合う...。
神奈川県茅ケ崎市出身の飯尾は、茅ケ崎市サッカー協会からの推薦でC級ライセンスを取得している。飯尾が受講した講習会のインストラクターは、全員F・マリノスのコーチ陣だった。「日本サッカー界の発展のために、インストラクターを惜しみなく提供していく」。それがF・マリノスというクラブの方針だったと、飯尾は後日知ることになる。
鮮明に記憶しているのは飯尾自身がF・マリノスのコーチとなり、クラブのエンブレムがあしらわれたスタッフウェアを最初に支給された日のことだ。
「よーしと責任感が生じ、自分にできることを、クラブに少しでも貢献できるようにやっていこうと決めました」
飯尾との長時間の対話を通して筆者が感じずにいられなかったのは、役割にとらわれず、どうすればF・マリノスに最大の貢献ができるかという、きわめて純度の高い献身性のような思いだった。見据えているのは、F・マリノスがもっと強く、もっと熱いクラブになっているそんな未来であり、その未来に向けて飯尾自身に何ができるのか――。
「地道なホームタウン活動や普及活動もそうですし、広報活動やプロモーション活動もそうでしょう。自分の強みをどこで出していくか、もっと考えながら、もっと強くて熱いクラブにしていきたいと、今回のACLをきっかけに、未来から逆算して考えるようになりました」
◇
飯尾がF・マリノスの一員となるプロコーチのセレクションは、およそ100名中合格者は7名だけという狭き門だった。指導実績が豊富だったわけではなく、プロ選手としての経歴も持たない大学生の飯尾がなぜ突破できたのか。
採用の経緯を知る先輩のコーチによれば、「明るく、楽しい雰囲気の練習を作り出せる。頭でっかちにならず、わかりやすく選手に伝えられる。自分のそういうところを見てくださっていたようです。お酒の席で教えてもらった話ですので、どこまで本当なのかは、わかりませんが(笑)」
プロコーチになった飯尾は、やがて指針を持つようになる。そのひとつはF・マリノスの先輩コーチから最初は“口伝”されたものだった。
「何のために練習するか? やっぱり楽しむためだよね。何歳になっても、いつまでも、サッカーを楽しめるように、練習して、技術を磨く。サッカーって失敗する回数が多いスポーツだよな。だからこそ大前提に“楽しむ”がなければ、とくに小学生年代の子どもたちは練習の苦しさに立ち向かえない。もちろん楽しさの意味を履(は)き違えてはいけないよ。サッカーを上達していく楽しさだ」
普及に長く携わってきた飯尾には、裾野をもっと広げていきたい思いもある。
「子どもたちがサッカーをもっと好きになれば、自然と親御さんももっと興味を持ってくれる。サッカーの楽しさをもっと知ってもらえたら、もっと応援してもらえるかもしれません」
クラブの生え抜きだからこそ精製できたに違いない純度の高い思い、横浜F・マリノス愛とも表現できる情熱や気概を見え隠れさせながら、飯尾は飯尾だからこそ担える役割をこの先も笑顔で背負っていくはずだ。(文中敬称略)
取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)
※サッカーダイジェスト2024年9月号から転載
【画像】ゲームを華やかに彩るJクラブ“チアリーダー”を一挙紹介!
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9月に開幕する24-25シーズンのACLエリート(新たなフォーマットとなるAFCコンペティションの最上位の大会)だ。飯尾の気持ちはすでに決まっている。
「チームマネージャーとしての経験を通して得られた知見を、繋いでいかなければならないと思うようになりました。次のACLエリートから、チームマネージャーは彩貴(鈴木)に担当してもらい、自分はサポートに回るつもりです」
チームマネージャーの職務に伴う権限の大きな価値を実感できたからこそ、それを早期に移譲するという前向きな選択なのだろうか?
「そのとおりです。貴重な何かを得られる役割だからこそ、別のスタッフに繋ぎたい。おそらくバトンを繋いでいくその積み重ねが、強いクラブを作っていくのではないでしょうか。みんなで作り上げていくのが、強さだと思っているので」
コーチとして普及に携わり、運営を担当し、チームマネージャーも務めた飯尾はその折々で実感してきたのだろう。サッカーには様々な携わり方があることを。プレーする、指導する、場を提供する、調整する、観る、支える、語り合う...。
神奈川県茅ケ崎市出身の飯尾は、茅ケ崎市サッカー協会からの推薦でC級ライセンスを取得している。飯尾が受講した講習会のインストラクターは、全員F・マリノスのコーチ陣だった。「日本サッカー界の発展のために、インストラクターを惜しみなく提供していく」。それがF・マリノスというクラブの方針だったと、飯尾は後日知ることになる。
鮮明に記憶しているのは飯尾自身がF・マリノスのコーチとなり、クラブのエンブレムがあしらわれたスタッフウェアを最初に支給された日のことだ。
「よーしと責任感が生じ、自分にできることを、クラブに少しでも貢献できるようにやっていこうと決めました」
飯尾との長時間の対話を通して筆者が感じずにいられなかったのは、役割にとらわれず、どうすればF・マリノスに最大の貢献ができるかという、きわめて純度の高い献身性のような思いだった。見据えているのは、F・マリノスがもっと強く、もっと熱いクラブになっているそんな未来であり、その未来に向けて飯尾自身に何ができるのか――。
「地道なホームタウン活動や普及活動もそうですし、広報活動やプロモーション活動もそうでしょう。自分の強みをどこで出していくか、もっと考えながら、もっと強くて熱いクラブにしていきたいと、今回のACLをきっかけに、未来から逆算して考えるようになりました」
◇
飯尾がF・マリノスの一員となるプロコーチのセレクションは、およそ100名中合格者は7名だけという狭き門だった。指導実績が豊富だったわけではなく、プロ選手としての経歴も持たない大学生の飯尾がなぜ突破できたのか。
採用の経緯を知る先輩のコーチによれば、「明るく、楽しい雰囲気の練習を作り出せる。頭でっかちにならず、わかりやすく選手に伝えられる。自分のそういうところを見てくださっていたようです。お酒の席で教えてもらった話ですので、どこまで本当なのかは、わかりませんが(笑)」
プロコーチになった飯尾は、やがて指針を持つようになる。そのひとつはF・マリノスの先輩コーチから最初は“口伝”されたものだった。
「何のために練習するか? やっぱり楽しむためだよね。何歳になっても、いつまでも、サッカーを楽しめるように、練習して、技術を磨く。サッカーって失敗する回数が多いスポーツだよな。だからこそ大前提に“楽しむ”がなければ、とくに小学生年代の子どもたちは練習の苦しさに立ち向かえない。もちろん楽しさの意味を履(は)き違えてはいけないよ。サッカーを上達していく楽しさだ」
普及に長く携わってきた飯尾には、裾野をもっと広げていきたい思いもある。
「子どもたちがサッカーをもっと好きになれば、自然と親御さんももっと興味を持ってくれる。サッカーの楽しさをもっと知ってもらえたら、もっと応援してもらえるかもしれません」
クラブの生え抜きだからこそ精製できたに違いない純度の高い思い、横浜F・マリノス愛とも表現できる情熱や気概を見え隠れさせながら、飯尾は飯尾だからこそ担える役割をこの先も笑顔で背負っていくはずだ。(文中敬称略)
取材・文●手嶋真彦(スポーツライター)
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