兄・本田弘幸氏はガッリアーニ副会長と話したが…。
本田はいま、こんな先の見えないクラブに籍を置いている。すでに2017年6月で切れる契約の延長を打診するなど、アドリアーノ・ガッリアーニ副会長をはじめとした現首脳陣は彼の残留を望んでいるが、前記した株式譲渡が成立すれば、強化部門そのものの入れ替えが確実。新しい首脳陣が本田をどう評価するのかは、現時点では答えようがない。そもそも、まずは本田自身の意志を確認することが先決だろう。
15-16シーズンの本田はセリエAとコッパ・イタリアで計37試合出場(スタメンが29試合、途中出場が8試合)。2530分出場はチームで6番目に多く、ミハイロビッチが長く彼をベンチにとどめた(11試合連続ベンチスタートの時期も)わりには、悪くない数字だ。
ただ、2ゴール・7アシストはいずれも少なすぎる。我が『ガゼッタ・デッロ・スポルト』の平均採点も、5.68と及第点の6に届かなかった。二流のチームでプレーしているのだから致し方ない部分もあるが、総括すれば「まあまあだった」という評価が妥当だろう。
コッパ・イタリア決勝前のローマ合宿には、本田の代理人を務める兄・本田弘幸氏も顔を見せていた。ガッリアーニからミランの来シーズンに向けたプロジェクトと大志を探り、なにより本田をどう扱おうとしているのかを知るためだ。
ガッリアーニはいつも通り本田に対して美辞麗句を並べたが、しかしそれ以上踏み込んだ話はしなかった。当然だろう。ガッリアーニ自身がミランに残れるかどうかすらも、現時点では分からないのだから……。
株式売却の行方、強化部門の体制、チーム全体の方向性、そして監督人事など、ミランの来シーズンはすべてが不透明だ。そして、当然ながら本田の未来も……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。
15-16シーズンの本田はセリエAとコッパ・イタリアで計37試合出場(スタメンが29試合、途中出場が8試合)。2530分出場はチームで6番目に多く、ミハイロビッチが長く彼をベンチにとどめた(11試合連続ベンチスタートの時期も)わりには、悪くない数字だ。
ただ、2ゴール・7アシストはいずれも少なすぎる。我が『ガゼッタ・デッロ・スポルト』の平均採点も、5.68と及第点の6に届かなかった。二流のチームでプレーしているのだから致し方ない部分もあるが、総括すれば「まあまあだった」という評価が妥当だろう。
コッパ・イタリア決勝前のローマ合宿には、本田の代理人を務める兄・本田弘幸氏も顔を見せていた。ガッリアーニからミランの来シーズンに向けたプロジェクトと大志を探り、なにより本田をどう扱おうとしているのかを知るためだ。
ガッリアーニはいつも通り本田に対して美辞麗句を並べたが、しかしそれ以上踏み込んだ話はしなかった。当然だろう。ガッリアーニ自身がミランに残れるかどうかすらも、現時点では分からないのだから……。
株式売却の行方、強化部門の体制、チーム全体の方向性、そして監督人事など、ミランの来シーズンはすべてが不透明だ。そして、当然ながら本田の未来も……。
文:マルコ・パソット(ガゼッタ・デッロ・スポルト紙)
翻訳:利根川晶子
【著者プロフィール】
Marco PASOTTO(マルコ・パソット)/1972年2月20日、トリノ生まれ。95年から『ガゼッタ・デッロ・スポルト』紙で執筆活動を始める。2002年から8年間ウディネーゼを追い、10年より番記者としてミランに密着。ミランとともにある人生を送っている。