44歳でプロレフェリーの道へ
――そういった出会いを経て、おそらく元Jクラブ練習生ということもあり、2007年に2級審判員になってから、2009年に1級審判員、2010年にJ2担当と超特急で上がっていきます。Jリーグ担当になるために、全国地域サッカーチャンピオンズリーグがテストの場になったりしましたか?
「私の場合は、そういったことはありませんでした。年間の割り当てでのパフォーマンスをチェックされていたのでしょうか」
――レフェリーとしての経歴だけを見れば、エリート路線に見えます。
「いえ、決して順風満帆ではありませんでした。2級までは地域サッカー協会の担当ですが、1級審判員になるとJFAの担当になります。1級になるとレフェリーカレッジ出身のレフェリーの方と研修会などで触れ合うことが多くなるんですよね。そこで、レフェリーカレッジを出ている方の知識、判断基準を見て、自分とのレベルの差を痛感しました」
――その判断基準というのは、レフェリーとしての試合数と比例していくのか。もしくは、中村さんはJクラブ練習生としての経験もありますから、レフェリーというよりは選手目線での判断基準になってしまっていたのか。どちらでしょうか?
「私自身、選手経験はプラスだと思っていました。ただ、選手経験から、レフェリングを感覚的に行なっていた部分もあります。たとえば、事象が起きる、どこを見るのか、自分にはどのように見えたか、どのように判断するのか。そこには積み上げた基準もあり、結果として判定となると思うのですが、そこを感覚で判断し過ぎる、あやふやだったと今は思います」
「私の場合は、そういったことはありませんでした。年間の割り当てでのパフォーマンスをチェックされていたのでしょうか」
――レフェリーとしての経歴だけを見れば、エリート路線に見えます。
「いえ、決して順風満帆ではありませんでした。2級までは地域サッカー協会の担当ですが、1級審判員になるとJFAの担当になります。1級になるとレフェリーカレッジ出身のレフェリーの方と研修会などで触れ合うことが多くなるんですよね。そこで、レフェリーカレッジを出ている方の知識、判断基準を見て、自分とのレベルの差を痛感しました」
――その判断基準というのは、レフェリーとしての試合数と比例していくのか。もしくは、中村さんはJクラブ練習生としての経験もありますから、レフェリーというよりは選手目線での判断基準になってしまっていたのか。どちらでしょうか?
「私自身、選手経験はプラスだと思っていました。ただ、選手経験から、レフェリングを感覚的に行なっていた部分もあります。たとえば、事象が起きる、どこを見るのか、自分にはどのように見えたか、どのように判断するのか。そこには積み上げた基準もあり、結果として判定となると思うのですが、そこを感覚で判断し過ぎる、あやふやだったと今は思います」
――それでも2011年からJ1リーグを担当しています。ある意味では、感覚的なレフェリングでもコントロールできていたということでしょうか?
「ですが、安定していなかったと思います。高いレベルでのレフェリングをするために、先輩たちから色々とアドバイスを頂きました。レフェリーカレッジのように、レフェリーの基本的な部分を学んでいなかったので、扇谷さん、東城(穣)さん、家本(政明)さん、隆治さんたちからの学びは大きかったです。
『レフェリングを掴んだ』という意味では、2021年に隆治さんから色々とアドバイスを頂けたことが大きいです。その時に隆治さんに教えてもらったのが、今、東城さんもJリーグ担当審判員への指導の際に使われるのですが、『ピース』という判定の考え方。事象をどのように掴み、どのような判定に持っていくか」
――起きた事象をパズルの『ピース』のように競技規則の考慮ポイントに当てはめていく感じですね。たとえば、『DOGSO』は四つの『ピース』が必要ですが、『著しく不正なファウルプレー』であれば、ひとつでも大きな『ピース』があれば適用されるというような。
「その『ピース』をしっかりと掴むために、ポジショニングや角度を意識して動かなければいけません。感覚的ではなく、整理されたことで、自分の中で目ざすものがはっきりしたのが、2021年です」
――その翌年の2022年、44歳で中村さんはPR(プロフェッショナルレフェリー)になります。教員であれば、だいたい65歳が定年、PRは定年制ではありませんが、50歳前後がほとんど。中村さんの年齢でのPRは、かなり大きな決断だと思いますが、迷いませんでしたか?
「プロフェッショナルレフェリーのお話が来る前に、教員として教頭先生のお話も頂いていまして、教頭先生になるとJリーグ担当審判員としての活動はできなくなります。その時に、純粋に審判員を続けたいと思ったので、プロフェッショナルレフェリーになりました」
>>>続きは https://www4.targma.jp/fbrj/2024/01/08/post13275/
「ですが、安定していなかったと思います。高いレベルでのレフェリングをするために、先輩たちから色々とアドバイスを頂きました。レフェリーカレッジのように、レフェリーの基本的な部分を学んでいなかったので、扇谷さん、東城(穣)さん、家本(政明)さん、隆治さんたちからの学びは大きかったです。
『レフェリングを掴んだ』という意味では、2021年に隆治さんから色々とアドバイスを頂けたことが大きいです。その時に隆治さんに教えてもらったのが、今、東城さんもJリーグ担当審判員への指導の際に使われるのですが、『ピース』という判定の考え方。事象をどのように掴み、どのような判定に持っていくか」
――起きた事象をパズルの『ピース』のように競技規則の考慮ポイントに当てはめていく感じですね。たとえば、『DOGSO』は四つの『ピース』が必要ですが、『著しく不正なファウルプレー』であれば、ひとつでも大きな『ピース』があれば適用されるというような。
「その『ピース』をしっかりと掴むために、ポジショニングや角度を意識して動かなければいけません。感覚的ではなく、整理されたことで、自分の中で目ざすものがはっきりしたのが、2021年です」
――その翌年の2022年、44歳で中村さんはPR(プロフェッショナルレフェリー)になります。教員であれば、だいたい65歳が定年、PRは定年制ではありませんが、50歳前後がほとんど。中村さんの年齢でのPRは、かなり大きな決断だと思いますが、迷いませんでしたか?
「プロフェッショナルレフェリーのお話が来る前に、教員として教頭先生のお話も頂いていまして、教頭先生になるとJリーグ担当審判員としての活動はできなくなります。その時に、純粋に審判員を続けたいと思ったので、プロフェッショナルレフェリーになりました」
>>>続きは https://www4.targma.jp/fbrj/2024/01/08/post13275/