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二度のJ1タイトル、代表デビュー。偉大な指導者や強烈な仲間と共に駆け抜けた日々【田中隼磨の生き様|前編】

カテゴリ:Jリーグ

元川悦子

2023年01月08日

若き日の吉田麻也も“隼磨イズム”に感化

2009年に横浜から名古屋に移籍。当時の監督ピクシーから熱烈なオファーを受けた。(C)SOCCER DIGEST

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 すでに楢崎正剛、玉田圭司、川島永嗣といった代表クラスが揃っていた名古屋だが、あと一歩、タイトルには届いていなかった。そこで2009年には隼磨、ジョシュア・ケネディ、ダヴィらを補強。夏に三都主アレサンドロも加わり、選手層が厚くなった。さらに翌10年には闘莉王、ダニルソン、金崎夢生も加入。盤石の体制ができ上がり、ついに頂点に上り詰めたのである。

「名古屋に行って最初に感じたのは、“ぬるい雰囲気”というか……。何か“練習のための練習”をしているかのように感じてしまった。練習中もガチガチ来ないし、言い合いもない。マリノス時代とは全然違っていたし、『万年中位』と言われているのが悔しくてしょうがなかった。

 ピクシーは『練習で100%を出さなくても本番でやればいい』という考え方だったんで、正直言って、練習の強度は決して高いとは言えなかった。自分がフルスプリントやスライディングタックルをするたびに『Why?』と言われました。ただ、それを試合で実践できないと『Not enough(不十分)』と厳しく苦言を呈されるんです。
 
 メリハリのあるピクシー流を理解しつつ、緊張感ある雰囲気を作るのは簡単じゃなかったけど、僕は僕なりにストレートに周りに注文をつけたつもり。闘莉王やアレックスもそういう想いだったから、チーム全体が大いに刺激を受けたと思う。それでチームが前向きに変化し、タイトル獲得につながった。2011年も最後の最後で柏レイソルに優勝をさらわれたけど、すごく良いチームだった。僕はそう感じています」

 そんな“隼磨イズム”に触れた1人が、若かりし日の吉田麻也である。2009年のキャンプで同室になった際、21時に就寝する先輩の姿を見て、18歳の大型DFは目を丸くしたという。だが、そこまで徹底的に自己管理し、ストイックにサッカーに向き合う姿勢を先輩から学んだからこそ、代表キャプテンとして奮闘する今があるはずだ。

 このように10~20代の隼磨は、偉大な指導者や先輩たちから多くを学び、飛躍を遂げたが、自身も若い世代にプロとしての矜持を伝える存在になった。二度のJ1タイトル、代表入りも含め、彼は日本のトップ・オブ・トップを力強く走り続けていたのである。

※後編に続く

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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