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二度のJ1タイトル、代表デビュー。偉大な指導者や強烈な仲間と共に駆け抜けた日々【田中隼磨の生き様|前編】

カテゴリ:Jリーグ

元川悦子

2023年01月08日

サウジ行きの機内でまさかの出来事

横浜の下部組織からトップ昇格。2004年にはチームのリーグ2連覇に貢献した。(C)SOCCER DIGEST

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 岡田監督が隼磨を認めたのも、オシムという偉大な指導者の琴線に触れたことが大きかったのかもしれない。それだけオシムという人物の存在感は圧倒的だった。

 当時のオシムジャパンは2006年ドイツW杯を機に若返りを図るべく、田中マルクス闘莉王や鈴木啓太、駒野友一らアテネ五輪世代を大量招集。新たなチームを作り始めた。その初期に名を連ねた隼磨は9月のサウジアラビア・イエメン遠征にも帯同。そこで驚きの出来事に遭遇したという。

「サウジのジェッダに到着する10~15分前だったかな。機内で練習着が回ってきて、『え、これから練習するの?』とビックリしたんです。現地はもちろん深夜。まさかとは思ったんですけど、『散歩くらいかな』と軽く考えていました。そうしたら、今度はスパイクも回ってきてグラウンドに直行。ガチで対人練習をすることになりましたね(苦笑)。

 オシムさんは『休みから得るものは何もない』と口癖のように言っていたけど、本当にその通りだと痛感させられた。僕はそこから自分を徹底的に追い込んだし、オフシーズンもほぼ休むことなく、カズ(三浦知良)さんと自主トレに行って、朝昼晩の3部練もやった。40歳まで現役を続けられたのは、オシムさんのもとでやれたのが大きいと思っています」
 
 隼磨の向上心をかき立ててくれたオシムジャパンだったが、定着は叶わなかった。加地亮や駒野といったライバルの存在に加え、自身のパフォーマンスも安定しなかったからだと彼は分析する。

 所属の横浜は岡田監督が2006年途中に辞任に追い込まれ、水沼貴史、早野宏史、桑原隆と毎年のように指揮官が交代するなど、チーム状態が落ち着かなかった。隼磨自身もコンスタントに試合に出ていたものの、どこか不完全燃焼感を拭えずにいたようだ。

 迎えた2009年。彼は名古屋グランパス移籍という大きな決断を下すことになる。

「2008年にピクシーが来たタイミングで、GMだった久米(一正)さんとピクシーの両方から熱烈なオファーをもらったんです。その時はマツ(松田直樹)さんのようにマリノスを背負って立つつもりでいましたから、いったんは断ったんです。でも、2008年の年末の天皇杯準決勝でピクシーに会って、『お前の力でグランパスを優勝させてくれ』と言われたことで、心に火がついた。年末に決意を固めて、新天地に赴きました」
 
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