全員が背番号17のユニホームに袖を通しエール
年月をかけて醸成してきたチームワークにも触れなければならない。
約30人が同じ釜の飯を食いながら前へ進んでいくなかにも、試合に先発する11人、ベンチスタートの7人、それ以外のメンバーに区分されていく。その境界線が薄ければ薄いほど、チームとしての一体感を保ちやすいのは言うまでもないだろう。
その点で今季の象徴となった選手が、宮市亮だ。
開幕当初はウイングの控えという位置付けに過ぎなかった。ベンチ入りすらままならず、試合日はメンバー外のひとりとして10人に満たない人数で汗を流すことしかできなかった。
それでも過密日程がきっかけで出場機会を得ると、自身の力でチャンスを掴み取る。横浜の一員として結果を残し、7月には10年ぶりの日本代表復帰も果たした。復活のストーリーはあまりにも美しく、誰もが応援したくなる実直な性格も大きな魅力になっていた。
しかし代表戦で再び重傷を負い、今季絶望のどん底に突き落とされる。アップダウンが激しすぎるキャリアに「引退することも考えた」とこぼすのも無理はない。
約30人が同じ釜の飯を食いながら前へ進んでいくなかにも、試合に先発する11人、ベンチスタートの7人、それ以外のメンバーに区分されていく。その境界線が薄ければ薄いほど、チームとしての一体感を保ちやすいのは言うまでもないだろう。
その点で今季の象徴となった選手が、宮市亮だ。
開幕当初はウイングの控えという位置付けに過ぎなかった。ベンチ入りすらままならず、試合日はメンバー外のひとりとして10人に満たない人数で汗を流すことしかできなかった。
それでも過密日程がきっかけで出場機会を得ると、自身の力でチャンスを掴み取る。横浜の一員として結果を残し、7月には10年ぶりの日本代表復帰も果たした。復活のストーリーはあまりにも美しく、誰もが応援したくなる実直な性格も大きな魅力になっていた。
しかし代表戦で再び重傷を負い、今季絶望のどん底に突き落とされる。アップダウンが激しすぎるキャリアに「引退することも考えた」とこぼすのも無理はない。
手を差し伸べたのは、最も近くで時間を過ごした仲間たちだ。負傷直後のリーグ鹿島戦、ウォーミングアップと試合後に全員が背番号17のユニホームに袖を通し、本人へエールを送る。仲間であり、ライバルであり、そしてファミリー。喜びや楽しさを分かち合うだけでなく、悔しさや辛さも共有する。横浜が思い描く家族像は、宮市という存在によって図らずも鮮明に映し出された。
2019年は大津祐樹(現・ジュビロ磐田)が縁の下の力持ちとなってチームを支えた。プレータイムは短くとも、献身性と自己犠牲でグループをまとめ上げた。
2022年は宮市の人間性に周囲が衝き動かされ、それがエネルギーに変わっていった。優勝後、キャプテンの喜田が掲げたシャーレは、次に宮市へ手渡された。
力強く掲げたシャーレの輝きは、ファミリーの絆そのものだった。
取材・文●藤井雅彦(ジャーナリスト)
【PHOTO】敵地神戸で優勝の歓喜に沸いた横浜F・マリノスサポーター
2019年は大津祐樹(現・ジュビロ磐田)が縁の下の力持ちとなってチームを支えた。プレータイムは短くとも、献身性と自己犠牲でグループをまとめ上げた。
2022年は宮市の人間性に周囲が衝き動かされ、それがエネルギーに変わっていった。優勝後、キャプテンの喜田が掲げたシャーレは、次に宮市へ手渡された。
力強く掲げたシャーレの輝きは、ファミリーの絆そのものだった。
取材・文●藤井雅彦(ジャーナリスト)
【PHOTO】敵地神戸で優勝の歓喜に沸いた横浜F・マリノスサポーター