失点したうえに、勝点3まで献上していてはなにも残らない。
今季のFC東京はシーズン開幕から「とりあえず失点ゼロで抑える」を合言葉に、戦ってきた。
つまり重心は明らかに守備のほうに傾いており、攻撃に専念してこそ本領を発揮できるはずの河野でさえ、素早い帰陣からのボール奪取が求められているのだ。そんな具合だからオフェンスはもっぱらカウンターで、仕掛けや崩しの局面で頼みの綱になっているのは今のところ、武藤の個人技か、太田のクロスだけである。
フィッカデンティ監督曰く「課題は残り15メートルの精度」らしいが、守備ありきの戦術で選手たちにそこまで求めるのは酷な気もする。この日もFC東京の攻撃が良くなかったというよりも、名古屋に上手く守られた印象のほうが強い。相手に対策を十分練られたなかで突破口を見出すのは、困難だろう。
だからこそ、重要なのは守備なのだ。名古屋戦の後、武藤もこう言っている。
「今日はいつもFC東京がやっている試合、どれだけ攻められても1点を取って、守り切るというようなサッカーを向こうにやられてしまった感じがします。
内容に関して言えば、球際に強く行けていて、セカンドボールも拾えていた。勝っていれば、内容も結果も素晴らしいものになっていましたが、こうやって負けてしまうとその内容が無駄なものになってしまう。なにがなんでも勝たなくてはいけませんでした。
本当にワンチャンスをモノにされて、自分たちはたくさんのチャンスがありながら決め切れなかった。DF陣に申し訳ない気持ちです」
負けてしまうと内容が無駄になる──。言い得て妙である。そもそも今季のFC東京のサッカーは、見た目的には玄人好みのスタイルと言える。何本もパスをつないで崩すようなシーンはほぼ皆無で、どちらかと言えば泥臭い。凌いで、凌いで、凌ぎ切って、ゼロに抑えて初めて評価されるサッカーをしている。それが失点したうえに、勝点3まで献上していてはなにも残らない。
内容よりも結果重視。極端に言えば、“0か、100か”。そんなギャンブル的なサッカーをやっている実感は、武藤にもあるのかもしれない。
「チームとしてゼロに抑えられれば最低でも引き分け。勝点1を獲得できますし、ゼロに抑えていれば最後に点を取って勝てる自信はあります。全員で守備から入っていかないとダメだなと思います」
つまり重心は明らかに守備のほうに傾いており、攻撃に専念してこそ本領を発揮できるはずの河野でさえ、素早い帰陣からのボール奪取が求められているのだ。そんな具合だからオフェンスはもっぱらカウンターで、仕掛けや崩しの局面で頼みの綱になっているのは今のところ、武藤の個人技か、太田のクロスだけである。
フィッカデンティ監督曰く「課題は残り15メートルの精度」らしいが、守備ありきの戦術で選手たちにそこまで求めるのは酷な気もする。この日もFC東京の攻撃が良くなかったというよりも、名古屋に上手く守られた印象のほうが強い。相手に対策を十分練られたなかで突破口を見出すのは、困難だろう。
だからこそ、重要なのは守備なのだ。名古屋戦の後、武藤もこう言っている。
「今日はいつもFC東京がやっている試合、どれだけ攻められても1点を取って、守り切るというようなサッカーを向こうにやられてしまった感じがします。
内容に関して言えば、球際に強く行けていて、セカンドボールも拾えていた。勝っていれば、内容も結果も素晴らしいものになっていましたが、こうやって負けてしまうとその内容が無駄なものになってしまう。なにがなんでも勝たなくてはいけませんでした。
本当にワンチャンスをモノにされて、自分たちはたくさんのチャンスがありながら決め切れなかった。DF陣に申し訳ない気持ちです」
負けてしまうと内容が無駄になる──。言い得て妙である。そもそも今季のFC東京のサッカーは、見た目的には玄人好みのスタイルと言える。何本もパスをつないで崩すようなシーンはほぼ皆無で、どちらかと言えば泥臭い。凌いで、凌いで、凌ぎ切って、ゼロに抑えて初めて評価されるサッカーをしている。それが失点したうえに、勝点3まで献上していてはなにも残らない。
内容よりも結果重視。極端に言えば、“0か、100か”。そんなギャンブル的なサッカーをやっている実感は、武藤にもあるのかもしれない。
「チームとしてゼロに抑えられれば最低でも引き分け。勝点1を獲得できますし、ゼロに抑えていれば最後に点を取って勝てる自信はあります。全員で守備から入っていかないとダメだなと思います」