「サッカーの中から人間性を学んでいくということは、たくさんあると思います」
――やはり、指導者の言葉に素直に従う生徒ばかりではないですよね。
古沼「結局、そういう子はサッカーが心底好きなんですよね。年端もいかない時には、サッカーを楽しもうという気持ちも強いでしょうし。一所懸命やっているんだから、仮に今日来た指導者がああだこうだと言っても、俺はこっちのほうがいいと思う、という考えを持つのは子どものころは、いいと思いますよ。だからそういう面で、僕はよく言うんです。『おまえ閃きっていう字を書けるかって。閃きっていう字は、門に人と書く。門っていうのは家のことなんだ、人が家の中に入っている時、隙間が見える。それが閃きって言うんだってね。そういう話までしてやるんですよね。
自分で言うのはなんですが、なるべく言いっ放しにしない、ようにしています。大人になって離れていく時でも、残るように、いろんな話をしています」
――もちろん、サッカー選手にとって技術は大切ですが、人間的な教育も大切なことだと感じます。
古沼「最後は、人間性がすべてじゃないかな。技術、戦術は二番手、三番手だと思う。人間性、アイデア、才能は大事ですよね」
本田「100人いたら、サッカーで一生飯を食える人というのは、どうかな、1人いるかどうか。99人は社会にいずれ出ないといけない。けっこう日本の社会って、サッカーの世界にくらべて生きていくのは難しいと思う。サッカー自体が海外から来たものですし、その特殊な日本社会の中に、ポツンと何か違うものが入ってきた。だから、すごく日本社会に溶け込むのはものすごく難しい種目でもあるな、とも思っているんですけど、その中で学んでいくと、結構日本社会の中にずばずば入っていけるような、これ通用するなと思うことがいっぱいある。だから私の指導者だった仲間たちの中にも、たくさんリーダーがいる。サッカーの中から人間性を学んでいくということは、たくさんあると思います」
◆古沼貞雄(こぬま・さだお)
1939年生まれ、東京都出身。1964年に帝京高の教員となり、翌年よりサッカー部監督に就任。全国優勝は、選手権6回、インターハイ3回を数える。2003年で退任し、以降は東京Vユースや流経大柏でアドバイザーを務め、08年からは矢板中央のアドバイザーとして活躍している。
◆本田裕一郎
1947年生まれ、静岡県出身。1975年に市原緑高のサッカー部監督に就任し、その後習志野高ではインターハイ優勝を経験。2001年に赴任した流経大柏高では、選手権、インターハイ、高円宮杯で通算5回の全国優勝を飾った。2020年からは国士舘高校でテクニカルアドバイザーを務めている。
取材協力●
競技の問屋合同会社
https://twitter.com/kyoginotonya
構成●サッカーダイジェストWeb編集部
古沼「結局、そういう子はサッカーが心底好きなんですよね。年端もいかない時には、サッカーを楽しもうという気持ちも強いでしょうし。一所懸命やっているんだから、仮に今日来た指導者がああだこうだと言っても、俺はこっちのほうがいいと思う、という考えを持つのは子どものころは、いいと思いますよ。だからそういう面で、僕はよく言うんです。『おまえ閃きっていう字を書けるかって。閃きっていう字は、門に人と書く。門っていうのは家のことなんだ、人が家の中に入っている時、隙間が見える。それが閃きって言うんだってね。そういう話までしてやるんですよね。
自分で言うのはなんですが、なるべく言いっ放しにしない、ようにしています。大人になって離れていく時でも、残るように、いろんな話をしています」
――もちろん、サッカー選手にとって技術は大切ですが、人間的な教育も大切なことだと感じます。
古沼「最後は、人間性がすべてじゃないかな。技術、戦術は二番手、三番手だと思う。人間性、アイデア、才能は大事ですよね」
本田「100人いたら、サッカーで一生飯を食える人というのは、どうかな、1人いるかどうか。99人は社会にいずれ出ないといけない。けっこう日本の社会って、サッカーの世界にくらべて生きていくのは難しいと思う。サッカー自体が海外から来たものですし、その特殊な日本社会の中に、ポツンと何か違うものが入ってきた。だから、すごく日本社会に溶け込むのはものすごく難しい種目でもあるな、とも思っているんですけど、その中で学んでいくと、結構日本社会の中にずばずば入っていけるような、これ通用するなと思うことがいっぱいある。だから私の指導者だった仲間たちの中にも、たくさんリーダーがいる。サッカーの中から人間性を学んでいくということは、たくさんあると思います」
◆古沼貞雄(こぬま・さだお)
1939年生まれ、東京都出身。1964年に帝京高の教員となり、翌年よりサッカー部監督に就任。全国優勝は、選手権6回、インターハイ3回を数える。2003年で退任し、以降は東京Vユースや流経大柏でアドバイザーを務め、08年からは矢板中央のアドバイザーとして活躍している。
◆本田裕一郎
1947年生まれ、静岡県出身。1975年に市原緑高のサッカー部監督に就任し、その後習志野高ではインターハイ優勝を経験。2001年に赴任した流経大柏高では、選手権、インターハイ、高円宮杯で通算5回の全国優勝を飾った。2020年からは国士舘高校でテクニカルアドバイザーを務めている。
取材協力●
競技の問屋合同会社
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構成●サッカーダイジェストWeb編集部