純粋に感じることは、勤勉な日本人に足りない感覚かもしれない。
そこで今日のひと言。
「タイから学ぶことは何もない」
タイでは、意識して「学ぶ」より自分で「感じる」ことが大事なのだ。
僕が体験したムエタイで言えば、トレーニングに気軽に仲間入りできる環境があり、そこでは人々が屈託のない笑顔で迎え入れ、ともに楽しむ環境があった。僕にはそこで「学ぶ」という意識はまったくなかったし、ジムのひとたちも「チェンマイFCの監督がムエタイをやってくれた」と嬉しそうな顔をしていた。
僕は、この国でもっともっとたくさんのことを感じ取って前進していきたいと思う。感じることで、それがいつの日か学びとして吸収され自分のものになっていく。意識して学ぶ必要はないのだ。ただ「純粋に感じていくこと」が大事なのだ。決して学ばせてもらわなくても、勉強しなくても、結果として身に付いていく。勤勉な日本人には足りない感覚かもしれない。もっと自然体になれば良い。
ムエタイに誘ってくれた友人がこんなことを言っていた。以前、彼が日本の中学生をチェンマイに連れてきた時に、日本の子どもたちは「(タイ人の子どもたちに)あれを教えてあげよう。僕はサッカー、私は……」などと言っていたという(ちょっと上から目線だ)。
しかし、実際に現地でタイの子どもたちと触れ合ってみると、彼らは楽しみながら何でも上手くできたらしい。そして、日本の子どもたちはこう言ったという。
「タイ人は僕らより上手かったけど、決して偉そうにはしなかった」
「すごく嬉しそうな楽しい顔をしていた」
僕はこの話を聞いた時に、まさにそれこそが「感じる」ということだと思った。日本とタイの子どもたちの「純粋さ」が表われている話だ。僕の友人は、子どもたちに本当に素晴らしい体験をさせたと思う。
実は、日本はタイから学ぶことが多いのかもしれない(笑)。「ない」と断言しておきながら「何を言っているんだ」と怒られそうだが、きっとタイを訪れ、この地の人々と触れ合う時があったら分かるはず。僕の言いたいことが……。
そして、ぜひ一度チェンマイに遊びに来てください。トレーニングを「一緒にやるか?」と気軽には言えないけど、美味しいタイ料理の店なら僕が紹介してあげます(笑)。
2015年3月21日
三浦泰年
【動画】 ムエタイ体験の様子はこちら!
「タイから学ぶことは何もない」
タイでは、意識して「学ぶ」より自分で「感じる」ことが大事なのだ。
僕が体験したムエタイで言えば、トレーニングに気軽に仲間入りできる環境があり、そこでは人々が屈託のない笑顔で迎え入れ、ともに楽しむ環境があった。僕にはそこで「学ぶ」という意識はまったくなかったし、ジムのひとたちも「チェンマイFCの監督がムエタイをやってくれた」と嬉しそうな顔をしていた。
僕は、この国でもっともっとたくさんのことを感じ取って前進していきたいと思う。感じることで、それがいつの日か学びとして吸収され自分のものになっていく。意識して学ぶ必要はないのだ。ただ「純粋に感じていくこと」が大事なのだ。決して学ばせてもらわなくても、勉強しなくても、結果として身に付いていく。勤勉な日本人には足りない感覚かもしれない。もっと自然体になれば良い。
ムエタイに誘ってくれた友人がこんなことを言っていた。以前、彼が日本の中学生をチェンマイに連れてきた時に、日本の子どもたちは「(タイ人の子どもたちに)あれを教えてあげよう。僕はサッカー、私は……」などと言っていたという(ちょっと上から目線だ)。
しかし、実際に現地でタイの子どもたちと触れ合ってみると、彼らは楽しみながら何でも上手くできたらしい。そして、日本の子どもたちはこう言ったという。
「タイ人は僕らより上手かったけど、決して偉そうにはしなかった」
「すごく嬉しそうな楽しい顔をしていた」
僕はこの話を聞いた時に、まさにそれこそが「感じる」ということだと思った。日本とタイの子どもたちの「純粋さ」が表われている話だ。僕の友人は、子どもたちに本当に素晴らしい体験をさせたと思う。
実は、日本はタイから学ぶことが多いのかもしれない(笑)。「ない」と断言しておきながら「何を言っているんだ」と怒られそうだが、きっとタイを訪れ、この地の人々と触れ合う時があったら分かるはず。僕の言いたいことが……。
そして、ぜひ一度チェンマイに遊びに来てください。トレーニングを「一緒にやるか?」と気軽には言えないけど、美味しいタイ料理の店なら僕が紹介してあげます(笑)。
2015年3月21日
三浦泰年
【動画】 ムエタイ体験の様子はこちら!