故障と偽ってブラジルに戻り、カーニバルに参加
2001年10月、2部降格の危機に瀕していた東京ヴェルディに緊急入団。攻撃の中心としてチームを牽引し、奇跡的な残留の立役者となった。翌年はリーグ開幕前に故障と偽って母国へ戻り、カーニバルを楽しんできて序盤3試合を欠場したが、それでもチーム最多の16得点をあげた。
2003年に浦和レッズへ移籍したが、規律を重んじるハンス・オフト監督と衝突。リーグ戦に全く出場しないまま、3月末に退団した。
その後、ヴァスコダガマやパルメイラスなどでプレーした後、2008年、37歳で現役を引退した。
2009年から、ブラジルのテレビの解説者を務める。当初は適性を疑う声が多かったが、意外にも勝負を分けたポイントなどを理路整然と解説し、視聴者からの評判は上々だ。
2003年に浦和レッズへ移籍したが、規律を重んじるハンス・オフト監督と衝突。リーグ戦に全く出場しないまま、3月末に退団した。
その後、ヴァスコダガマやパルメイラスなどでプレーした後、2008年、37歳で現役を引退した。
2009年から、ブラジルのテレビの解説者を務める。当初は適性を疑う声が多かったが、意外にも勝負を分けたポイントなどを理路整然と解説し、視聴者からの評判は上々だ。
2016年11月末、コパ・スダメリカーナ決勝のアトレティコ・ナシオナル(コロンビア)対シャペコエンセ(ブラジル)の試合を現地で解説する予定だったが、個人的な事情から辞退。シャペコエンセ選手団とブラジルメディアを乗せたチャーター便が墜落して乗客・乗員77人中71人死亡したが、彼は難を逃れた。
波乱万丈の人生を振り返って、こう述懐する。
「これまで僕は、自分が思うことをそのまま口にし、行動してきた。そのせいで周囲と軋轢を生み、随分、失敗もした。でも、それをすべて含めて、自分の人生に誇りを持っている」
日本で過ごした日々については、こう振り返る。
「全く異なる文化を経験し、素晴らしい人たちと知り合えたのは僕にとって貴重な財産だ。日本の人たちにとても感謝している」
長所も短所も特大。ニックネームとは裏腹に、これほど人間臭い男は少ないだろう。
取材・文●沢田啓明
波乱万丈の人生を振り返って、こう述懐する。
「これまで僕は、自分が思うことをそのまま口にし、行動してきた。そのせいで周囲と軋轢を生み、随分、失敗もした。でも、それをすべて含めて、自分の人生に誇りを持っている」
日本で過ごした日々については、こう振り返る。
「全く異なる文化を経験し、素晴らしい人たちと知り合えたのは僕にとって貴重な財産だ。日本の人たちにとても感謝している」
長所も短所も特大。ニックネームとは裏腹に、これほど人間臭い男は少ないだろう。
取材・文●沢田啓明