「だいたい600試合くらいは先発で出てる。これは自分でも誇れるかな」
「正直言うとあんまり、特別な感情はないかな。気づいたらここまで来た、って感じかもしれない」
2月23日に行なわれた今季J1リーグ開幕戦、横浜F・マリノス戦で先発出場を飾った。21年連続での開幕スタメンは前人未到の記録で、楢崎正剛が持っていたJ1最多出場記録である「631」に並んだ。
ヤットはこの数字に到達するまでの間、むしろ「あらためてどんだけすごい人たちがいたのかを実感した」という。そして「セイゴウ(楢崎)さんのほうがよっぽどすごい」と絶賛するのだ。
「自分で自分がすごいとは思わない。当の本人やからね(笑)。20年くらいやってないと超えられない記録やから、それは自分でもようやってるな、長くやってるなとは思うけど。
やっぱり思うのは、セイゴウさんすごいなってところ。ここに到達するまでの1、2年間、すごく感じてきた。やっぱり年を取れば取るほど試合に出るのが難しくなるし、ひとつ間違ったらガタガタって崩れるからね。俺に言わせたら、フィールドもキーパーもないやろって思う。むしろキーパーのほうが大変でしょ。1枠しかないから。俺らは逃げ道が2、3個あるし、途中からでも出れるけど、キーパーはそうはいかない。(J1通算593試合の)ユウジ(中澤佑二)にしてもすごい。逆に周りのすごさを実感しながら、ここまで到達したって感じかな」
褒め称えるなら、むしろ別のデータにしてほしいと切望する。このあたりがいかにもヤットらしい。
「631試合中、だいたい600試合くらいは先発で出てるんじゃないかな(2020年7月22日時点で606試合)。これは自慢じゃないけど、自分でも誇れる数字やし、なかなかできないものやと思う。あとは去年、全公式戦で1000試合出場を達成した(2020年7月22日時点で1019試合)。こっちのほうがよっぽどの記録やと思うんやけど、扱いは小さい(笑)」
J1通算&キャリア通算の大記録において、偉大な第一歩がしるされたのが1998年の春だった。鹿児島実高から横浜フリューゲルスに加入したルーキーが、いきなりJ開幕戦でスタメン出場を飾ったのだ。
いまでも、顛末や当日の雰囲気などすべてを鮮明に記憶している。
「個人としては最高のスタートを切れた。パフォーマンスはさておき、フリューゲルスも相手のマリノスのメンバーも最高やったよね。シーズンの開幕戦が新横(横浜国際総合競技場)のこけら落としで満員。しかも横浜ダービー。これ以上の経験はないやろうって試合を最初に経験できた。余裕じゃないけど、その後の気持ちの楽さってのはあったと思う。それは、確実にあったよね」
まったく緊張はしなかったという。抜擢登用も想定内だったようだ。
「監督(カルロス・レシャック)がああいう人だったんで、日本人の監督ならあそこまで若手を抜擢しなかったかもしれない。プレシーズンでスペインに遠征して、ある程度やれるかなって手応えが自分のなかにはあった。監督がイメージするスタイルにも合うなって。開幕戦の1週間くらい前から『もしかしたら出れるんちゃう?』と感じてたから、心の準備はできていたかもしれない」
大した18歳である。やはり当時から緊張という言葉とは無縁だったようだ。
「サッカーで緊張ってのは……ないよね。むしろ車の免許を取るときの筆記試験のほうが緊張した。ちょうど移籍で横浜から京都に引っ越す間際で、ここしかない一発勝負。絶対に受からなアカンと思ってたから、あれがこれまでで一番緊張したんじゃないかな」
持って生まれた冷静沈着な性格、何事にも動じないスタンスがなせる業なのか。
「それもあるやろうけど、小さい頃からキャプテンのスピーチとかあって、実はそれなりに鍛えられてたからかもね。積み重ねがあったんかなと思う。鹿実時代でも、大勢の親御さんの前でちゃんと話さなきゃいけないとか、気構えのところ。上手くこなせばいいんやろ、ってどこかで割り切れるようになった。性格だけじゃないよ」
では、現在40歳のヤットがプロデビュー目前の18歳だった自分に声をかけるとしたら、どんなメッセージを届けるだろうか。
「なんやろ。あれこれは言わない。そのまま行け、だけかな。あとは『海外にも行けるかもよ』くらいは囁くかもしれない」
2月23日に行なわれた今季J1リーグ開幕戦、横浜F・マリノス戦で先発出場を飾った。21年連続での開幕スタメンは前人未到の記録で、楢崎正剛が持っていたJ1最多出場記録である「631」に並んだ。
ヤットはこの数字に到達するまでの間、むしろ「あらためてどんだけすごい人たちがいたのかを実感した」という。そして「セイゴウ(楢崎)さんのほうがよっぽどすごい」と絶賛するのだ。
「自分で自分がすごいとは思わない。当の本人やからね(笑)。20年くらいやってないと超えられない記録やから、それは自分でもようやってるな、長くやってるなとは思うけど。
やっぱり思うのは、セイゴウさんすごいなってところ。ここに到達するまでの1、2年間、すごく感じてきた。やっぱり年を取れば取るほど試合に出るのが難しくなるし、ひとつ間違ったらガタガタって崩れるからね。俺に言わせたら、フィールドもキーパーもないやろって思う。むしろキーパーのほうが大変でしょ。1枠しかないから。俺らは逃げ道が2、3個あるし、途中からでも出れるけど、キーパーはそうはいかない。(J1通算593試合の)ユウジ(中澤佑二)にしてもすごい。逆に周りのすごさを実感しながら、ここまで到達したって感じかな」
褒め称えるなら、むしろ別のデータにしてほしいと切望する。このあたりがいかにもヤットらしい。
「631試合中、だいたい600試合くらいは先発で出てるんじゃないかな(2020年7月22日時点で606試合)。これは自慢じゃないけど、自分でも誇れる数字やし、なかなかできないものやと思う。あとは去年、全公式戦で1000試合出場を達成した(2020年7月22日時点で1019試合)。こっちのほうがよっぽどの記録やと思うんやけど、扱いは小さい(笑)」
J1通算&キャリア通算の大記録において、偉大な第一歩がしるされたのが1998年の春だった。鹿児島実高から横浜フリューゲルスに加入したルーキーが、いきなりJ開幕戦でスタメン出場を飾ったのだ。
いまでも、顛末や当日の雰囲気などすべてを鮮明に記憶している。
「個人としては最高のスタートを切れた。パフォーマンスはさておき、フリューゲルスも相手のマリノスのメンバーも最高やったよね。シーズンの開幕戦が新横(横浜国際総合競技場)のこけら落としで満員。しかも横浜ダービー。これ以上の経験はないやろうって試合を最初に経験できた。余裕じゃないけど、その後の気持ちの楽さってのはあったと思う。それは、確実にあったよね」
まったく緊張はしなかったという。抜擢登用も想定内だったようだ。
「監督(カルロス・レシャック)がああいう人だったんで、日本人の監督ならあそこまで若手を抜擢しなかったかもしれない。プレシーズンでスペインに遠征して、ある程度やれるかなって手応えが自分のなかにはあった。監督がイメージするスタイルにも合うなって。開幕戦の1週間くらい前から『もしかしたら出れるんちゃう?』と感じてたから、心の準備はできていたかもしれない」
大した18歳である。やはり当時から緊張という言葉とは無縁だったようだ。
「サッカーで緊張ってのは……ないよね。むしろ車の免許を取るときの筆記試験のほうが緊張した。ちょうど移籍で横浜から京都に引っ越す間際で、ここしかない一発勝負。絶対に受からなアカンと思ってたから、あれがこれまでで一番緊張したんじゃないかな」
持って生まれた冷静沈着な性格、何事にも動じないスタンスがなせる業なのか。
「それもあるやろうけど、小さい頃からキャプテンのスピーチとかあって、実はそれなりに鍛えられてたからかもね。積み重ねがあったんかなと思う。鹿実時代でも、大勢の親御さんの前でちゃんと話さなきゃいけないとか、気構えのところ。上手くこなせばいいんやろ、ってどこかで割り切れるようになった。性格だけじゃないよ」
では、現在40歳のヤットがプロデビュー目前の18歳だった自分に声をかけるとしたら、どんなメッセージを届けるだろうか。
「なんやろ。あれこれは言わない。そのまま行け、だけかな。あとは『海外にも行けるかもよ』くらいは囁くかもしれない」