「あんなに度胸のあるメッシを“ペチョフリオ”なんて…」
酸いも甘いも知る百戦錬磨のデ・ロッシは、時折、メッシに対するいわれのない批判に意見する。
「イタリアで、アルゼンチンではメッシのことを『ペチョフリオ(ハートが冷めた人)』と呼ぶと言ったら、誰にも理解してもらえなくて、むしろ笑われるよ。どうやったらあんなに度胸のあるメッシをペチョフリオと呼べるんだい? パソコンの向こう側からメッシにペチョフリオなんて言う勇気はあっても、テレビのチャンネルを変えるのに自分の奥さんにリモコンを取ってと頼む度胸もないような奴はいるからね。
それなのに、人生でもう1000ゴールもマークした人をペチョフリオと呼ぶなんて冗談じゃないよ! 愛されると同等に批判されることに耐え慣れた人はメッシの他にいない。時には不公平過ぎる批判を受けながら、だ。
彼はPK戦の末にコパ・アメリカ決勝で2度敗れた。一方で、私はPK戦の末に世界チャンピオンになった。そのせいで彼はペチョフリオと呼ばれ、私は一緒に戦ったチームメイトとともにヒーローになった。その差はたったの5センチだけだ。そんなのおかしい。納得できないよ。いつもチーム全体を背負っているのはメッシなのだということを忘れないでほしい」
そんなデ・ロッシは、ローマでの18年で、16人のアルゼンチン人とプレーした。かなりの数だが、元イタリア代表MFには、とりわけ忘れられない男がいる。
「それぞれの良さを挙げることはできるが、強烈な印象を与えてくれたのはバティだ。ローマに入ったばかりの私はまだ若僧だったが、彼はすでに『バティストゥータ』だったからね。彼がロッカールームの中を歩く度にオーラが見えた。並外れていたよ。
話をしなくても、彼が卓越したサッカー選手であり、優れた人だとわかった。それから(ロッカールームで)彼の隣で着替えるようになったんだけど、感激したよ。なんたって彼は、ローマに来てすぐ次々とゴールを決めて、20年ぶりのスクデットに導いてくれたからね。一緒にトレーニングしながら、私は彼を抱きしめてキスをしたい思いだった。まさかファンと同じように振る舞うわけにはいかなかったけどね」
「イタリアで、アルゼンチンではメッシのことを『ペチョフリオ(ハートが冷めた人)』と呼ぶと言ったら、誰にも理解してもらえなくて、むしろ笑われるよ。どうやったらあんなに度胸のあるメッシをペチョフリオと呼べるんだい? パソコンの向こう側からメッシにペチョフリオなんて言う勇気はあっても、テレビのチャンネルを変えるのに自分の奥さんにリモコンを取ってと頼む度胸もないような奴はいるからね。
それなのに、人生でもう1000ゴールもマークした人をペチョフリオと呼ぶなんて冗談じゃないよ! 愛されると同等に批判されることに耐え慣れた人はメッシの他にいない。時には不公平過ぎる批判を受けながら、だ。
彼はPK戦の末にコパ・アメリカ決勝で2度敗れた。一方で、私はPK戦の末に世界チャンピオンになった。そのせいで彼はペチョフリオと呼ばれ、私は一緒に戦ったチームメイトとともにヒーローになった。その差はたったの5センチだけだ。そんなのおかしい。納得できないよ。いつもチーム全体を背負っているのはメッシなのだということを忘れないでほしい」
そんなデ・ロッシは、ローマでの18年で、16人のアルゼンチン人とプレーした。かなりの数だが、元イタリア代表MFには、とりわけ忘れられない男がいる。
「それぞれの良さを挙げることはできるが、強烈な印象を与えてくれたのはバティだ。ローマに入ったばかりの私はまだ若僧だったが、彼はすでに『バティストゥータ』だったからね。彼がロッカールームの中を歩く度にオーラが見えた。並外れていたよ。
話をしなくても、彼が卓越したサッカー選手であり、優れた人だとわかった。それから(ロッカールームで)彼の隣で着替えるようになったんだけど、感激したよ。なんたって彼は、ローマに来てすぐ次々とゴールを決めて、20年ぶりのスクデットに導いてくれたからね。一緒にトレーニングしながら、私は彼を抱きしめてキスをしたい思いだった。まさかファンと同じように振る舞うわけにはいかなかったけどね」
そして、もう一人、特別な関係にあるアルゼンチン人がいる。元チームメイトで、ボカではある意味で上司となったニコラス・ブルディッソ(ボカの元スポーツディレクター)だ。
「彼とは世界の裏側で再び結びつくことになった。昔とは異なる場所、異なる役目のもとでね。本当に全てにおいて助けてもらった。ローマで一緒にプレーしていた時期のあと、マネージャーとしての彼に会った時、自分が思っていた以上に偉大な人であったことを実感したよ」
N・ブルディッソを「偉大な友」と語るデ・ロッシは、ボカ移籍を誘われた際の舞台裏を告白した。
「選手としては重鎮的な存在で、イタリアではそういう人を「マルテロ(ハンマー)」と呼ぶのだけど、度が過ぎるほどサッカーに集中していて、プレーするときはいつも全身全霊を注ぐような人で、ものすごくプロフェッショナルなんだ。
そのニコから『ボカにおいでよ、とても重要な1年なんだ、会長選挙もあってね』と言われて、私は『こいつは何を言ってるんだ? 選挙なんてどうでもいいじゃないか。自分がやりたいのはサッカーだけなのに』と思ったよ。
欧州ではクラブの選挙のことなんて選手には知らされないからね。でも確かに、アルゼンチンでは事情が異なる。後になって、ボカのようなクラブで会長選があることが何を意味しているのかを理解したよ」
「彼とは世界の裏側で再び結びつくことになった。昔とは異なる場所、異なる役目のもとでね。本当に全てにおいて助けてもらった。ローマで一緒にプレーしていた時期のあと、マネージャーとしての彼に会った時、自分が思っていた以上に偉大な人であったことを実感したよ」
N・ブルディッソを「偉大な友」と語るデ・ロッシは、ボカ移籍を誘われた際の舞台裏を告白した。
「選手としては重鎮的な存在で、イタリアではそういう人を「マルテロ(ハンマー)」と呼ぶのだけど、度が過ぎるほどサッカーに集中していて、プレーするときはいつも全身全霊を注ぐような人で、ものすごくプロフェッショナルなんだ。
そのニコから『ボカにおいでよ、とても重要な1年なんだ、会長選挙もあってね』と言われて、私は『こいつは何を言ってるんだ? 選挙なんてどうでもいいじゃないか。自分がやりたいのはサッカーだけなのに』と思ったよ。
欧州ではクラブの選挙のことなんて選手には知らされないからね。でも確かに、アルゼンチンでは事情が異なる。後になって、ボカのようなクラブで会長選があることが何を意味しているのかを理解したよ」