アカデミーでの功績から、数年計画でネルシーニョの後任監督に育成。
吉田がコーチ、監督として関わった柏U-15は、04年にはナイキ・プレミアカップ・ジャパンを制し、翌年の世界大会であるマンチェスター・ユナイテッド・プレミアカップに出場。そのままゴールデンエイジの進学とともにU-18に籍を移し、07年Jユースカップ準優勝、08年日本クラブユース選手権準優勝と国内の大会はもとより、海外のトーナメントでも好成績を収めた。
スペインのMIC国際大会、ビジャレアル国際大会では、レアル・マドリーやリバプールという強豪クラブのユースチームを相手に互角の勝負を展開。パスサッカーの本場でも、彼らの攻撃的なポゼッションサッカーは高い評価を受けた。
吉田は柏U-18監督として工藤、酒井らをトップチームに送り出した後、09年に柏U-15の監督となり、工藤や酒井らの代で見せた攻撃的なポゼッションサッカーを、中学生だった秋野央樹、小林祐介、中川寛斗(いずれも柏)、木村裕(現長崎)、中村航輔(現福岡)に伝えた。
さらにこの頃から、柏アカデミーとしても大きな転換期を迎える。以前は、監督やカテゴリーが変わる度に目指すサッカーのコンセプトや指導方針が変更されていたのだが、工藤、酒井らを輩出した世代のスタイルをモデルケースに、アカデミー全体のコンセプトが一貫化され、U-18からU-12までが共通した哲学の下に同じスタイルのサッカーを展開する組織へと生まれ変わっていくのだ。
2010年以降、吉田はクラブから強化部長やダイレクターといった重要なポジションが与えられた。これに関しては、今年1月17日のスタートミーティングで、寺坂利之ゼネラルマネージャーがその経緯を明らかにしている。
「彼(吉田)を監督にするために、いろいろなポジションを任せ、吉田達磨をレイソルの監督にするという前提は3、4年前から考えておりました」
アカデミーで見せた吉田の手腕、リーダーシップ、功績を大いに評価し、クラブとしても数年計画でネルシーニョの後任監督を育てていたことが窺える。
教え子である工藤、茨田陽生がトップチームの主力選手になり、山中亮輔、秋野、小林、中谷進之介らも戦力として計算できる水準まで到達した。今回の監督就任はいよいよ、そのタイミングが到来したという判断ゆえの人事だろう。
スペインのMIC国際大会、ビジャレアル国際大会では、レアル・マドリーやリバプールという強豪クラブのユースチームを相手に互角の勝負を展開。パスサッカーの本場でも、彼らの攻撃的なポゼッションサッカーは高い評価を受けた。
吉田は柏U-18監督として工藤、酒井らをトップチームに送り出した後、09年に柏U-15の監督となり、工藤や酒井らの代で見せた攻撃的なポゼッションサッカーを、中学生だった秋野央樹、小林祐介、中川寛斗(いずれも柏)、木村裕(現長崎)、中村航輔(現福岡)に伝えた。
さらにこの頃から、柏アカデミーとしても大きな転換期を迎える。以前は、監督やカテゴリーが変わる度に目指すサッカーのコンセプトや指導方針が変更されていたのだが、工藤、酒井らを輩出した世代のスタイルをモデルケースに、アカデミー全体のコンセプトが一貫化され、U-18からU-12までが共通した哲学の下に同じスタイルのサッカーを展開する組織へと生まれ変わっていくのだ。
2010年以降、吉田はクラブから強化部長やダイレクターといった重要なポジションが与えられた。これに関しては、今年1月17日のスタートミーティングで、寺坂利之ゼネラルマネージャーがその経緯を明らかにしている。
「彼(吉田)を監督にするために、いろいろなポジションを任せ、吉田達磨をレイソルの監督にするという前提は3、4年前から考えておりました」
アカデミーで見せた吉田の手腕、リーダーシップ、功績を大いに評価し、クラブとしても数年計画でネルシーニョの後任監督を育てていたことが窺える。
教え子である工藤、茨田陽生がトップチームの主力選手になり、山中亮輔、秋野、小林、中谷進之介らも戦力として計算できる水準まで到達した。今回の監督就任はいよいよ、そのタイミングが到来したという判断ゆえの人事だろう。