久保への評価は高かったが最終的にジーコの選択は…
ハーフタイムに7人もの選手を交代したチェコが、EURO2004に向けたテストモードだったことは間違いない。しかし、久保の豪快な一撃が炸裂したのは、ネドベドやロシツキー、コラーやバロシュらベストメンバーが揃っていた前半なのだ。その意味でも、大きな価値を持つゴールだった。「日本がこんなに強いとは思わなかった。びっくりさせられた」と、ロシツキーも完敗の体だった。
久保は5月30日のアイスランド戦でも2ゴールをマークし、エースの座を確かなものとしたかに思われた。だが、腰痛や足首の負傷が悪化したため、05年は日本代表での出場はゼロに終わる。
久保は5月30日のアイスランド戦でも2ゴールをマークし、エースの座を確かなものとしたかに思われた。だが、腰痛や足首の負傷が悪化したため、05年は日本代表での出場はゼロに終わる。
それでも指揮官の久保への評価は高かった。06年に代表復帰を果たし、ゴールを決めた2月のインド戦のあと、ジーコは「ゴールを決めることにかけては類まれなる才能を持っている。日本の核になると期待している」と、ドイツ・ワールドカップの構想に久保が入っていることを示唆したのだ。
だが、最終的にジーコは久保の選出を見送った。ぎりぎりまで待ったものの、久保のコンディションが戻らなかったことは、ジーコにとって最大の誤算だったに違いない。プラハのピッチで久保が放った輝きは、それほど可能性に満ちたものだったのだ。
文●飯尾篤史(スポーツライター)