酒井は上村さんに「僕も何かしたい」と訴えた
そんな上村さんを心配しながら見守っていた人間がいた。酒井宏樹だった。最初は上村さんがウィルスに感染するのを恐れていた。だがある日、こう言い出した。「僕も何かしたい。医療現場に寄付をしたいんです」。そして2万ユーロ(4月のレートで約240万円)の小切手を切った。「でも、どこの誰に寄付すればいいのか…」
上村さんはその小切手を、マルセイユの大学病院や公的医療機関の連合体である「AP-HM」に大切に届けた。医療関係者たちにまた笑顔が弾けた。
だが、困難も立ちはだかった。全てがストップしたなかで無償の食事提供運動をするのは、けっして容易ではない。90人の有志が日替わりで必死に料理するのだが、食材をタダで提供してくれるスーパー探しや市場あさりに奔走しなければならなかった。
「最初は賞味期限ぎりぎりの品を提供してもらったりしていたんですが、だんだん自腹で買う人も出てきて」と上村さんは語る。皆が閉店中で、通常収入がない中での努力だった。
上村さんはその小切手を、マルセイユの大学病院や公的医療機関の連合体である「AP-HM」に大切に届けた。医療関係者たちにまた笑顔が弾けた。
だが、困難も立ちはだかった。全てがストップしたなかで無償の食事提供運動をするのは、けっして容易ではない。90人の有志が日替わりで必死に料理するのだが、食材をタダで提供してくれるスーパー探しや市場あさりに奔走しなければならなかった。
「最初は賞味期限ぎりぎりの品を提供してもらったりしていたんですが、だんだん自腹で買う人も出てきて」と上村さんは語る。皆が閉店中で、通常収入がない中での努力だった。
そんな上村さんたちの困難を見近に見ていた酒井がまた動いた。また小切手を取り出すと、今度は1万ユーロ(同約120万円)を切ったのだ。さらに、日本代表DFはワクチン研究で世界的に有名なパスツール研究所にも2万ユーロを寄付、合計5万ユーロを支援した。
上村さんは言う。
「酒井さんは頭がよくて、すごく謙虚で、ちゃんと物事を理解して行動するんですよ。今回も、僕はメディアに言うつもりさえなかった。でも酒井さんは、『いや、メディアにも書いてもらった方がいいですよ。それを読んだ人たちが、自分も何かしようと後に続くかもしれないんですから』と言ってくれて。なるほどなあ、と思いました。酒井さんは、自分のことだけじゃなく、後続のことも考えている人なんです」
こうして「シェフ上村一平×日本代表・酒井宏樹」の話題は、地元医療関係者から地元メディアへと広がり、さらには全国週刊誌『LE MAGAZINE L’EQUIPE』にも取り上げられた。「竈(かまど)を離れた包丁名人と、ピッチを奪われた戦士」「2人のサムライ」――。そんな表現もあった。私のしつこい質問にも、開店準備に追われるなか、上村さんはたっぷり時間をかけて答えてくれた。
だがいったい、上村さんと酒井はどう出会ったのだろう。しかもなぜそれほど親しくなったのだろうか。そこには人間くさくて素敵なストーリーがあった。
後編へ続く
取材・文●結城麻里
text by Marie YUUKI