サッカーを楽しむ姿勢を失わないタイ人選手に“考える”力が加われば…。
名古屋とのトレーニングマッチから話は変わるが、こちらに来てタイの選手の特徴を観察しながら思うことがある。
それは、すごく良い部分と足りない部分の差が顕著であること。この足りない部分にアプローチをかけていき、良い部分をより活かせればと考えている
この「足りない部分を埋める」作業は、多くの日本人にとっても簡単なことではないだろう。例えば、英語を例に挙げると――。日本人は英語を完璧にマスターしていないと、外国人と話そうとしない。いや、話してはいけないと勘違いしているのかもしれない。
日本人はよく「英語はペラペラですか?」みたいな表現を使うが、ヨーロッパでは「ペラペラですか」ではなく、「どのレベルですか?」と聞くのだと、僕のアイルランド人の英会話の先生に教えてもらった。幼稚園児レベル、高校生レベル、大学レベル、通訳レベル……。
つまり、このレベルを上げるためには、どんどん人と話してコミュニケーションをとらなければならない。サッカーで言えば、どんどん“チャレンジ”していくことにあたるだろう。そして、どちらもミスを恐れていては前に進めない。
チェンマイFCの選手は、そのレベルはどうであれ、サッカーに意欲的に取り組み楽しむことを知っている。英語を知らなくてもどんどん話し、コミュニケーションをとるのと同じで、理解半分でサッカーを楽しもうとする。これはタイ人の良いところだと思っている。
ただ、いくらコミュニケーションをとるのを楽しんでも、理解半分でサッカーを楽しんでも、どうすればレベルアップできるかという、上達へのプロセスにしっかり向き合わなければ意味がない。
タイの選手たちは、そこをまだ本気で考えようとしていない。彼らにとってプロセスはあまり重要ではないのだ。プロセスも大事であると捉え、もっと考えながら楽しめば、成長のスピードは随分と変わってくるはずだ。
だから、彼らには、「ただ楽しめば良いではダメ。考えながら楽しみなさい」とよく言っている。楽しむことは考えることでもあるのだと、僕は思う。
プロになっても、少年のようにサッカーを楽しむ姿勢を失わない。彼らのこうしたストロングポイントを活かすには、“考える”というプラスアルファの要素が必要なのだ。それが守備時のポジションであったり、他の選手をサポートすることだったり……。そうした場面で、考えてプレーできるようになればもっと良いサッカーになるはずだ。
逆に、才能を持ちながら伸び悩む日本人選手には、タイ人選手のようなメンタリティが足りない。英語が完璧でないとしゃべれないように、完璧でないとチャレンジできない……。ミスを恐れてしまう。
理解半分でもすぐにプレーしたがるチェンマイFCの選手たちには、限りない可能性があると思う。いや、あると信じたい。
今日の一言。
「楽しむことは考えること」
僕はやらないからよく分からない面もあるが、子どもがテレビゲームにハマる理由のひとつは、ひとつのステージをクリアするたびに、より難しいステージにチャレンジしていけるのが面白いからだという。
まさしく目の前にある場面をどうクリアしていけば良いかを考えるのが楽しいのだ! これがゲーム(サッカー)の本質である。
サッカーを楽しむ――。
いかに得点を奪い、失点をせずに戦って勝つか。それを“考えて”実現できれば、本当にサッカーは楽しいスポーツだ。
2015年2月2日
三浦泰年
それは、すごく良い部分と足りない部分の差が顕著であること。この足りない部分にアプローチをかけていき、良い部分をより活かせればと考えている
この「足りない部分を埋める」作業は、多くの日本人にとっても簡単なことではないだろう。例えば、英語を例に挙げると――。日本人は英語を完璧にマスターしていないと、外国人と話そうとしない。いや、話してはいけないと勘違いしているのかもしれない。
日本人はよく「英語はペラペラですか?」みたいな表現を使うが、ヨーロッパでは「ペラペラですか」ではなく、「どのレベルですか?」と聞くのだと、僕のアイルランド人の英会話の先生に教えてもらった。幼稚園児レベル、高校生レベル、大学レベル、通訳レベル……。
つまり、このレベルを上げるためには、どんどん人と話してコミュニケーションをとらなければならない。サッカーで言えば、どんどん“チャレンジ”していくことにあたるだろう。そして、どちらもミスを恐れていては前に進めない。
チェンマイFCの選手は、そのレベルはどうであれ、サッカーに意欲的に取り組み楽しむことを知っている。英語を知らなくてもどんどん話し、コミュニケーションをとるのと同じで、理解半分でサッカーを楽しもうとする。これはタイ人の良いところだと思っている。
ただ、いくらコミュニケーションをとるのを楽しんでも、理解半分でサッカーを楽しんでも、どうすればレベルアップできるかという、上達へのプロセスにしっかり向き合わなければ意味がない。
タイの選手たちは、そこをまだ本気で考えようとしていない。彼らにとってプロセスはあまり重要ではないのだ。プロセスも大事であると捉え、もっと考えながら楽しめば、成長のスピードは随分と変わってくるはずだ。
だから、彼らには、「ただ楽しめば良いではダメ。考えながら楽しみなさい」とよく言っている。楽しむことは考えることでもあるのだと、僕は思う。
プロになっても、少年のようにサッカーを楽しむ姿勢を失わない。彼らのこうしたストロングポイントを活かすには、“考える”というプラスアルファの要素が必要なのだ。それが守備時のポジションであったり、他の選手をサポートすることだったり……。そうした場面で、考えてプレーできるようになればもっと良いサッカーになるはずだ。
逆に、才能を持ちながら伸び悩む日本人選手には、タイ人選手のようなメンタリティが足りない。英語が完璧でないとしゃべれないように、完璧でないとチャレンジできない……。ミスを恐れてしまう。
理解半分でもすぐにプレーしたがるチェンマイFCの選手たちには、限りない可能性があると思う。いや、あると信じたい。
今日の一言。
「楽しむことは考えること」
僕はやらないからよく分からない面もあるが、子どもがテレビゲームにハマる理由のひとつは、ひとつのステージをクリアするたびに、より難しいステージにチャレンジしていけるのが面白いからだという。
まさしく目の前にある場面をどうクリアしていけば良いかを考えるのが楽しいのだ! これがゲーム(サッカー)の本質である。
サッカーを楽しむ――。
いかに得点を奪い、失点をせずに戦って勝つか。それを“考えて”実現できれば、本当にサッカーは楽しいスポーツだ。
2015年2月2日
三浦泰年