「みんな上手かったですが、ひとり挙げると…」
――当時のチームで特に印象的な選手は?
「みんな上手かったですが、ひとり挙げるならヤットさん(遠藤保仁)ですね。めちゃくちゃ上手かった。預けておけば何とかなる。ヤットさんだけでなく、二川孝弘や橋本英郎くんもゲームを作れたので、前線の選手は楽でしたね。(攻撃ユニットを組んだ)アラウージョとフェルナンジーニョはドリブルもパスもできたので、僕は余計なことをしないで、前にいて点を取ることに専念していた。役割分担ができていたと思います。
実はアラウージョは最初、パスばかりしていた。『俺もシュートをファーストチョイスにしているから、お前も打っていいよ』と言ったら、シュートばかり打つようになって、しまいには得点王にまでなった。もう少しパスしろと言えばよかったかな(笑)。みんなで共有していたのが、まずシュートを打つこと。難しい場面では空いている人に預けて、誰かがシュートを打ったら誰かが詰める。そういう当たり前のことができていた」
――大黒選手のようにガンバのユース出身のメンバーも多かった。
「とてもいい関係でした。ガンバユースは、高校サッカーのようにキッチリとした上下関係があるわけではないんです。後輩のアキ(家長昭博)あたりもすんなり溶け込んでた。恒さん(宮本恒靖)や橋本くんはそんな怖い感じではないんで。ガンバユースの第1期生だった恒さんを筆頭に、ユースから突き上げができていた。先輩たちがトップチームで戦っているのを目の当たりにしていたので、ユース時代からモチベーションも高かったし、トップチームに上がってからも戦えたのだと思います」
――トップチームには錚々たるアタッカーがいました。
個人的にシュート練習は凄く為になった。松波さん、吉原宏太さん、小島宏美さん、ニーノ・ブーレ、歴代のガンバのフォワードはみんなシュートが本当に上手かった。練習で動き方やテクニックを学ばせてもらって、そのおかげで成長できました」
「みんな上手かったですが、ひとり挙げるならヤットさん(遠藤保仁)ですね。めちゃくちゃ上手かった。預けておけば何とかなる。ヤットさんだけでなく、二川孝弘や橋本英郎くんもゲームを作れたので、前線の選手は楽でしたね。(攻撃ユニットを組んだ)アラウージョとフェルナンジーニョはドリブルもパスもできたので、僕は余計なことをしないで、前にいて点を取ることに専念していた。役割分担ができていたと思います。
実はアラウージョは最初、パスばかりしていた。『俺もシュートをファーストチョイスにしているから、お前も打っていいよ』と言ったら、シュートばかり打つようになって、しまいには得点王にまでなった。もう少しパスしろと言えばよかったかな(笑)。みんなで共有していたのが、まずシュートを打つこと。難しい場面では空いている人に預けて、誰かがシュートを打ったら誰かが詰める。そういう当たり前のことができていた」
――大黒選手のようにガンバのユース出身のメンバーも多かった。
「とてもいい関係でした。ガンバユースは、高校サッカーのようにキッチリとした上下関係があるわけではないんです。後輩のアキ(家長昭博)あたりもすんなり溶け込んでた。恒さん(宮本恒靖)や橋本くんはそんな怖い感じではないんで。ガンバユースの第1期生だった恒さんを筆頭に、ユースから突き上げができていた。先輩たちがトップチームで戦っているのを目の当たりにしていたので、ユース時代からモチベーションも高かったし、トップチームに上がってからも戦えたのだと思います」
――トップチームには錚々たるアタッカーがいました。
個人的にシュート練習は凄く為になった。松波さん、吉原宏太さん、小島宏美さん、ニーノ・ブーレ、歴代のガンバのフォワードはみんなシュートが本当に上手かった。練習で動き方やテクニックを学ばせてもらって、そのおかげで成長できました」
――川崎戦では、その松波選手と交代でピッチを後にしています。
「故障明けだったので、できるところまでやろうと。自分がやれる事はやったので、『松波さん、後はお願いします』という気持ちでした。松波さんの活躍もあって、最後にアラウージョのダメ押し点も入って。優勝するには複雑な状況で、他会場の結果も気になりましたが、勝てば優勝できると思っていたんで。勝つことしか考えていなかった。とにかく優勝できて良かった」
――ガンバで育ってきて、トップチームで初優勝。格別だったのでは?
「ジュニアからガンバにいて、(前身の)松下電器時代も見ていた。永島昭浩さんに憧れていたし、ガンバで優勝したいという想いは強かった。まだユースの時に、トップチームで練習する機会があって、松波さんがボールをキープしたら、背中でボールが全く見えなかったんですよ。こんなに大きい背中あるのかって。そういう先輩たちの姿に刺激を受けながら育ててもらった。ユース時代にサテライトリーグに出場するなど、いろいろな経験をさせてもらいました。ガンバのそういうシステムも良かったのかな。
僕はこのシーズン限りで移籍するというのがなんとなく決まっていたので、最後に優勝できて本当によかった。小さい頃からガンバにお世話になっていたんで、ちょっとだけ恩返しできたかな」
取材・文●渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb編集部)
協力●DAZN
「故障明けだったので、できるところまでやろうと。自分がやれる事はやったので、『松波さん、後はお願いします』という気持ちでした。松波さんの活躍もあって、最後にアラウージョのダメ押し点も入って。優勝するには複雑な状況で、他会場の結果も気になりましたが、勝てば優勝できると思っていたんで。勝つことしか考えていなかった。とにかく優勝できて良かった」
――ガンバで育ってきて、トップチームで初優勝。格別だったのでは?
「ジュニアからガンバにいて、(前身の)松下電器時代も見ていた。永島昭浩さんに憧れていたし、ガンバで優勝したいという想いは強かった。まだユースの時に、トップチームで練習する機会があって、松波さんがボールをキープしたら、背中でボールが全く見えなかったんですよ。こんなに大きい背中あるのかって。そういう先輩たちの姿に刺激を受けながら育ててもらった。ユース時代にサテライトリーグに出場するなど、いろいろな経験をさせてもらいました。ガンバのそういうシステムも良かったのかな。
僕はこのシーズン限りで移籍するというのがなんとなく決まっていたので、最後に優勝できて本当によかった。小さい頃からガンバにお世話になっていたんで、ちょっとだけ恩返しできたかな」
取材・文●渡邊裕樹(サッカーダイジェストWeb編集部)
協力●DAZN