「初めてヒザに痛み止め打って試合に臨んだ」
新型コロナウイルスの影響でJリーグは依然として中断が続き、まだ再開の目途は立っていない。試合観戦ができず退屈しているファンのために、「DAZN」では「Re-Live」と称して過去の名勝負を放送中だ。現在配信中のガンバ大阪が初タイトルを獲得した2005年J1リーグ最終戦(G大阪vs川崎フロンターレ)で解説を務めた大黒将志に、劇的な初優勝を振り返ってもらった。
この年のJリーグは、1996年以来となる1ステージ制が導入され、前年度に昇格してきた川崎と大宮アルディージャを加えた18チーム、全34節で争われた。同年のナビスコカップ決勝でジェフユナイテッド千葉に敗れたG大阪は、Jリーグ創設時の“オリジナル10”のなかで唯一タイトルを獲得していないチームとなってしまった。
リーグ戦でも30節まで首位を走っていたものの、そこからまさかの3連敗。宿敵のセレッソ大阪に抜かれ、2位で最終節を迎えていた。首位から勝点2差に5チームがひしめくという史上稀に見る大混戦のなか、C大阪が後半アディショナルタイムに追いつかれてまさかのドロー。最後の最後に笑ったのが、川崎を4-2で破ったG大阪だった。
この年のJリーグは、1996年以来となる1ステージ制が導入され、前年度に昇格してきた川崎と大宮アルディージャを加えた18チーム、全34節で争われた。同年のナビスコカップ決勝でジェフユナイテッド千葉に敗れたG大阪は、Jリーグ創設時の“オリジナル10”のなかで唯一タイトルを獲得していないチームとなってしまった。
リーグ戦でも30節まで首位を走っていたものの、そこからまさかの3連敗。宿敵のセレッソ大阪に抜かれ、2位で最終節を迎えていた。首位から勝点2差に5チームがひしめくという史上稀に見る大混戦のなか、C大阪が後半アディショナルタイムに追いつかれてまさかのドロー。最後の最後に笑ったのが、川崎を4-2で破ったG大阪だった。
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――川崎戦を迎えるにあたってのチーム状態は?
「ガンバはそれまで優勝した経験がなく、松波(正信)さん(現在はG大阪強化アカデミー部長)も最後の年でした。とにかく一致団結していましたし、チームの雰囲気も良かったですね。
ただ、僕は膝を怪我して数試合を欠場していました。離脱した時にはまだ首位だったので、みんなが優勝決めてくれると思っていたんですが、なかなかそこから勝てなくて。最終節に出場することになりました。人生で初めて膝に痛み止め打ってやったのを覚えています。自分でゴールできなくても、みんなに取らせる、そんな気持ちで挑んだ試合でした」
――試合は2度のリードを追いつかれる苦しい展開でした。
「当時のガンバは2点取られても3点取って勝つというチームだった。無失点で終えた試合はほとんどありませんでした(18勝のうち、16節の大分戦と22節の東京V戦の2試合のみ)。こういう展開は少なくなかった」
――Jリーグの歴史のなかでも屈指の攻撃的なチームという印象でした。
「西野朗監督の下、みんなポテンシャルが高くてテクニックもあった。自分たちがどう攻めるかしか考えていなかった。もちろん守備の決まり事もありましたが。チームワークも良かった」
――川崎戦を迎えるにあたってのチーム状態は?
「ガンバはそれまで優勝した経験がなく、松波(正信)さん(現在はG大阪強化アカデミー部長)も最後の年でした。とにかく一致団結していましたし、チームの雰囲気も良かったですね。
ただ、僕は膝を怪我して数試合を欠場していました。離脱した時にはまだ首位だったので、みんなが優勝決めてくれると思っていたんですが、なかなかそこから勝てなくて。最終節に出場することになりました。人生で初めて膝に痛み止め打ってやったのを覚えています。自分でゴールできなくても、みんなに取らせる、そんな気持ちで挑んだ試合でした」
――試合は2度のリードを追いつかれる苦しい展開でした。
「当時のガンバは2点取られても3点取って勝つというチームだった。無失点で終えた試合はほとんどありませんでした(18勝のうち、16節の大分戦と22節の東京V戦の2試合のみ)。こういう展開は少なくなかった」
――Jリーグの歴史のなかでも屈指の攻撃的なチームという印象でした。
「西野朗監督の下、みんなポテンシャルが高くてテクニックもあった。自分たちがどう攻めるかしか考えていなかった。もちろん守備の決まり事もありましたが。チームワークも良かった」