若きスコットランド代表FWを襲った悲劇
グランビル氏は第2部で、元チェルシー選手の悲しい出来事も伝えている。1918年12月に29歳の若さで亡くなったアンガス・ダグラスという選手の話だ。
死亡時はニューカッスル・ユナイテッドでプレーしていたが、チェルシーには期待の若手として1908年に加入。右ウイングのポジションで1911-12シーズンの1部昇格や、1911年のFAカップ準決勝初進出に貢献したという。その活躍が認められてスコットランド代表にも選ばれた。
そのダグラスが感染したばかりか、不幸にも4歳年下の妻もウイルスの標的に。夫妻は別々の部屋に隔離されていたが、まず妻が亡くなり、3日後にはその後を追うようにダグラスも逝ったという。二人の間には生後約8カ月の娘がいた。
イングランドでは1919年9月に戦前のようなフットボールリーグが再開した。ディビジョン1ではウエスト・ブロムウィッチ・アルビオンが優勝。バーンリーが勝点9差で2位となり、チェルシーが3位、リバプールが4位で続いた。
ところで、この年は日本サッカーにとっても重要な出来事があった。3月にFA(イングランド・サッカー協会)が日本にシルバーカップを寄贈したことが報じられ、それが2年後の大日本蹴球協会(現在の日本サッカー協会)創設、全国優勝競技会(天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)スタートにつながっている。
文●石川 聡
死亡時はニューカッスル・ユナイテッドでプレーしていたが、チェルシーには期待の若手として1908年に加入。右ウイングのポジションで1911-12シーズンの1部昇格や、1911年のFAカップ準決勝初進出に貢献したという。その活躍が認められてスコットランド代表にも選ばれた。
そのダグラスが感染したばかりか、不幸にも4歳年下の妻もウイルスの標的に。夫妻は別々の部屋に隔離されていたが、まず妻が亡くなり、3日後にはその後を追うようにダグラスも逝ったという。二人の間には生後約8カ月の娘がいた。
イングランドでは1919年9月に戦前のようなフットボールリーグが再開した。ディビジョン1ではウエスト・ブロムウィッチ・アルビオンが優勝。バーンリーが勝点9差で2位となり、チェルシーが3位、リバプールが4位で続いた。
ところで、この年は日本サッカーにとっても重要な出来事があった。3月にFA(イングランド・サッカー協会)が日本にシルバーカップを寄贈したことが報じられ、それが2年後の大日本蹴球協会(現在の日本サッカー協会)創設、全国優勝競技会(天皇杯JFA全日本サッカー選手権大会)スタートにつながっている。
文●石川 聡