「俺が守ってやるから好きにしろって」
ヤットの回答は、実に簡単明瞭だった。
「あんましみんな覚えてないかもしれんけど、俺的にはファビーニョ。まさにね、ザ・ブラジル人ボランチ。ボールをガンガン狩れるし、とにかく無駄がなくて、ミスが少ないうえに、シンプルなことしかしない。で、ボールを奪ったら速攻でボールをくれる。プレーが分かりやすくて正確だから、一緒にダブルボランチを組んでてすごくやりやすかった。このタイミングで渡すの? とか、まったくなかったからね」
2001年シーズン、京都サンガから移籍してきた遠藤の相棒は、稲本潤一だった。強力デュオを形成してすぐさまチームの屋台骨となったが、イナは半年でアーセナルへと旅立ち、シーズン後半はベストパートナー不在のまま、悪戦苦闘を余儀なくされた。
翌シーズンに西野朗政権が発足し、入団してきたのが守備職人のファビーニョだ。完全な汗かき役として振る舞い、遠藤の攻撃性能を最大限に引き出した。
「あんましみんな覚えてないかもしれんけど、俺的にはファビーニョ。まさにね、ザ・ブラジル人ボランチ。ボールをガンガン狩れるし、とにかく無駄がなくて、ミスが少ないうえに、シンプルなことしかしない。で、ボールを奪ったら速攻でボールをくれる。プレーが分かりやすくて正確だから、一緒にダブルボランチを組んでてすごくやりやすかった。このタイミングで渡すの? とか、まったくなかったからね」
2001年シーズン、京都サンガから移籍してきた遠藤の相棒は、稲本潤一だった。強力デュオを形成してすぐさまチームの屋台骨となったが、イナは半年でアーセナルへと旅立ち、シーズン後半はベストパートナー不在のまま、悪戦苦闘を余儀なくされた。
翌シーズンに西野朗政権が発足し、入団してきたのが守備職人のファビーニョだ。完全な汗かき役として振る舞い、遠藤の攻撃性能を最大限に引き出した。
ガンバがいよいよヤットのチームになる、その礎を築いたのが2002年シーズン。本人は口にしなかったものの、言うなればファビーニョは“恩人”なのである。
「俺が守ってやるから好きにしろって感じやったね。思い切り自由にプレーさせてもらった。かなり意外でしょうけど、俺にとってはファビーニョが一番。まるで10番っぽくなかったけどね(笑)」
わずか1シーズンの在籍ながら、2005年シーズンに記録にも記憶にも残る鮮烈な活躍を見せたアラウージョのように、遠藤にとってファビーニョは、万博に1年だけ舞い降りた天使だったのかもしれない。
文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
※2017年5月掲載分より抜粋、再編集。
【PHOTO】パナスタで美しく舞う、ガンバ大阪「チアダンスチーム」を一挙紹介!
「俺が守ってやるから好きにしろって感じやったね。思い切り自由にプレーさせてもらった。かなり意外でしょうけど、俺にとってはファビーニョが一番。まるで10番っぽくなかったけどね(笑)」
わずか1シーズンの在籍ながら、2005年シーズンに記録にも記憶にも残る鮮烈な活躍を見せたアラウージョのように、遠藤にとってファビーニョは、万博に1年だけ舞い降りた天使だったのかもしれない。
文●川原崇(サッカーダイジェストWeb編集部)
※2017年5月掲載分より抜粋、再編集。
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