若手選手が震えた言葉とは?
もしも、それを疑うのであれば、ボカの下部組織の選手たちに聞いてみるといい。彼らは機会があるごとに、ローマからやって来た偉大なキャプテンにピッチ内外の様々なアドバイスを与えてもらっていた。私も一度だけその場に居合わせて、彼の言葉を聞いた。
「君たちはきっと、こんなに努力して一体何になるんだと思ったことがあるだろう。どうせ誰も見てはいない、頑張っても意味がない、とね。いいか、それは大きな間違いだ。君たちがやっていることも、やろうとする姿勢も、その逆の場合も、しっかり見られている。誰かが必ず見ているんだ。絶対に諦めるな。精一杯やれ。努力はいつか成果をもたらす。決してそれを忘れてはならない」
勇士の言葉に、若手たちは身体を震わせていた。私はあの時、彼が近い将来、優れた指導者になるに違いないと確信した。
「君たちはきっと、こんなに努力して一体何になるんだと思ったことがあるだろう。どうせ誰も見てはいない、頑張っても意味がない、とね。いいか、それは大きな間違いだ。君たちがやっていることも、やろうとする姿勢も、その逆の場合も、しっかり見られている。誰かが必ず見ているんだ。絶対に諦めるな。精一杯やれ。努力はいつか成果をもたらす。決してそれを忘れてはならない」
勇士の言葉に、若手たちは身体を震わせていた。私はあの時、彼が近い将来、優れた指導者になるに違いないと確信した。
クリスマスと年末年始の休暇でイタリアに一時帰国していた彼は、そこで引退を決心したという。なのになぜ、一度ボカに戻ってキャンプに参加し、メディカルチェックまで受け、トレーニングを始めたのかと不思議に思った人は多かった。
これについては本人と話をしていないため、真相こそわからないが、きっと退団と引退の決意をリケルメに直接話したかったのだろう。
昨年12月の会長選をもって、ボカの副会長になったリケルメは、サッカー部門の総マネージメントを担うことになり、キャンプ開始から3日後に初めて選手たちと対面した。デ・ロッシの引退表明がそのタイミングになったのは、一度アルゼンチンに戻ってチームに合流し、リケルメと会って直に話したかったからなのではないか。私にはそう思える。
彼はそういう人間なのだ。それほど重要な決断をイタリアから電話でさらりと伝えるような非情な真似はしたくなかったのだ。ほんのわずかな時間を共有しだだけだが、私にはそれがよくわかる。
「Questo é Boca(これがボカだ)」――。彼がイタリア語でそう言い放ったときの感激を、ボカの人たちは一生忘れない。グラッツィエ、レレ。いつかまた必ず、どこかで会おう。できることなら、世界一決定戦の場で、監督としての君と再会したいものだ。
【PHOTO】ボカでキャリアの晩年を過ごしたデ・ロッシの勇姿をレアショットで紹介!
文●ハビエル・ガルシア・マルティーノ text by Javier Garcia MARTINO
訳●チヅル・デ・ガルシア translation by Chizuru de GARCIA