前体制の良かった部分は日本代表のスタイルとして受け継いでいきたい。
――そしてブラジル・ワールドカップに向けて5月末から行なわれたアメリカでの直前合宿で、長谷部選手は今年3度目の怪我を負い、その後のふたつの強化試合(6月2日のコスタリカ戦、6日のザンビア戦)を欠場することになりました。本大会へ、焦りはありませんでしたか?
「あの時は、無理をすればやれたと思います。ただ、ザッケローニ監督には『自分がこのような状態である以上、他の選手を(大会登録メンバーの23人に)呼んだほうがチームのためになるなら、その決断をしてください』と話はしました」
――監督にそのような話をする前は、どんな心境でしたか?
「自分の中では、はっきりしていました。何がチームのためになるのかを考えていたので、できるだけ早い段階で(自分をメンバーに残すか外すかの)決断をしてもらったほうがいいと思ったし、自分に代わって呼ばれるかもしれない選手がオフに入ってしまう可能性もあったので。ただ、監督が『怪我が良くなるまで待つ』と早いタイミングで決断をしてくれたので、無理はしませんでした。ブラジルに入ってから状態が急に良くなった時もあったので、『これだったら行けるかな』と感じたりもしました」
――改めてブラジル・ワールドカップを振り返ると、日本代表が残した1分2敗のグループリーグ敗退という結果について、どのように感じていますか?
「負けた時には多くを語らないほうがいいものですが……、当事者がそれを分かったうえで皆さんに語っていかなければいけない部分もある。もちろん、『経験が足りなかった』と言ってしまえばそれまでですが、結局あのような大会は本当に小さなことで風向きや勝敗の行方が決まったりする。そういう意味では運も含めて、すべてを引き寄せられるように細かい部分にこだわらないといけなかったと思います。ただ、どうすれば良かったのかと訊かれても、今でも何が原因で上手くいかなかったのか、ハッキリとは分からないですね。いつの日か、あの経験が活きたと言える時が来ると信じて、やるだけです」
――最後の試合となったコロンビア戦後に「言い訳をするつもりはない」と前置きしたうえで、「自分たちの目指した方向性は間違っていない」と話していましたが、長谷部選手の言う方向性とは?
「日本人の特長を活かしたパスワークや、コンビネーションを活かして相手の守備を崩すようなサッカーですね。ただ、これから求めていかなければいけないのは、その先。例えば、ボールへの寄せもそうだし、組織としての連動した守備もそう。結果が出なかったので、すべてを否定したくなる気持ちは分かりますが、良かったところはスタイルとして受け継いでいきたいという想いもあります。4年やって、結果がダメだったからといって、やり方をガラッと変えて一から始めるという繰り返しは良くないと思うから」
――活動時間の限られる代表で、チームとして“連動”するためにはどうすべきでしょう?
「育成だと思います。一貫して、育成年代から同じことをやっていく。あるいはドイツ代表にバイエルンの選手が、スペイン代表にバルサやレアルの選手が数多くいたように、それくらいのビッグクラブを日本に作ったり、Jリーグがそういうリーグを目指すというのもひとつの手だと思います。もちろん、世界のサッカーの流れは常に変化しているから、そこにも敏感に反応していかなければいけないとは思います」
――ところで、退任したザッケローニ監督が日本を離れる際、内田選手と空港へ見送りに行っていましたね。
「ワールドカップで結果が出なかった以上、監督、選手、日本サッカー協会などが批判されるのは当たり前のことだし、その責任もありますが、監督は自分が生まれ育ったのとは違う国に来て、日本人のことを本当に理解して、日本人の良さも見てくれた。ひとりの人間として空港に(見送りに)行ったという感じです。あの時はチームも解散して、もう選手と監督という立場でもなかったですしね。今でも、たまに連絡が来ますよ。『イタリアに遊びに来い』と言われているので、タイミングが合ったら行きたいとも思います。
ただ、勘違いしてほしくないのは、監督と選手という関係だった時期には、プライベートでは一切、会ったことがないということ。『お前はキャプテンだが、プレーが悪くなったら外す』と監督から言われ続けましたし、選手と監督という関係は少しも崩れていなかったと思います」
「あの時は、無理をすればやれたと思います。ただ、ザッケローニ監督には『自分がこのような状態である以上、他の選手を(大会登録メンバーの23人に)呼んだほうがチームのためになるなら、その決断をしてください』と話はしました」
――監督にそのような話をする前は、どんな心境でしたか?
「自分の中では、はっきりしていました。何がチームのためになるのかを考えていたので、できるだけ早い段階で(自分をメンバーに残すか外すかの)決断をしてもらったほうがいいと思ったし、自分に代わって呼ばれるかもしれない選手がオフに入ってしまう可能性もあったので。ただ、監督が『怪我が良くなるまで待つ』と早いタイミングで決断をしてくれたので、無理はしませんでした。ブラジルに入ってから状態が急に良くなった時もあったので、『これだったら行けるかな』と感じたりもしました」
――改めてブラジル・ワールドカップを振り返ると、日本代表が残した1分2敗のグループリーグ敗退という結果について、どのように感じていますか?
「負けた時には多くを語らないほうがいいものですが……、当事者がそれを分かったうえで皆さんに語っていかなければいけない部分もある。もちろん、『経験が足りなかった』と言ってしまえばそれまでですが、結局あのような大会は本当に小さなことで風向きや勝敗の行方が決まったりする。そういう意味では運も含めて、すべてを引き寄せられるように細かい部分にこだわらないといけなかったと思います。ただ、どうすれば良かったのかと訊かれても、今でも何が原因で上手くいかなかったのか、ハッキリとは分からないですね。いつの日か、あの経験が活きたと言える時が来ると信じて、やるだけです」
――最後の試合となったコロンビア戦後に「言い訳をするつもりはない」と前置きしたうえで、「自分たちの目指した方向性は間違っていない」と話していましたが、長谷部選手の言う方向性とは?
「日本人の特長を活かしたパスワークや、コンビネーションを活かして相手の守備を崩すようなサッカーですね。ただ、これから求めていかなければいけないのは、その先。例えば、ボールへの寄せもそうだし、組織としての連動した守備もそう。結果が出なかったので、すべてを否定したくなる気持ちは分かりますが、良かったところはスタイルとして受け継いでいきたいという想いもあります。4年やって、結果がダメだったからといって、やり方をガラッと変えて一から始めるという繰り返しは良くないと思うから」
――活動時間の限られる代表で、チームとして“連動”するためにはどうすべきでしょう?
「育成だと思います。一貫して、育成年代から同じことをやっていく。あるいはドイツ代表にバイエルンの選手が、スペイン代表にバルサやレアルの選手が数多くいたように、それくらいのビッグクラブを日本に作ったり、Jリーグがそういうリーグを目指すというのもひとつの手だと思います。もちろん、世界のサッカーの流れは常に変化しているから、そこにも敏感に反応していかなければいけないとは思います」
――ところで、退任したザッケローニ監督が日本を離れる際、内田選手と空港へ見送りに行っていましたね。
「ワールドカップで結果が出なかった以上、監督、選手、日本サッカー協会などが批判されるのは当たり前のことだし、その責任もありますが、監督は自分が生まれ育ったのとは違う国に来て、日本人のことを本当に理解して、日本人の良さも見てくれた。ひとりの人間として空港に(見送りに)行ったという感じです。あの時はチームも解散して、もう選手と監督という立場でもなかったですしね。今でも、たまに連絡が来ますよ。『イタリアに遊びに来い』と言われているので、タイミングが合ったら行きたいとも思います。
ただ、勘違いしてほしくないのは、監督と選手という関係だった時期には、プライベートでは一切、会ったことがないということ。『お前はキャプテンだが、プレーが悪くなったら外す』と監督から言われ続けましたし、選手と監督という関係は少しも崩れていなかったと思います」