【あの日、その時、この場所で】川淵三郎/前編 Jリーグは2DKの一室から始まった

カテゴリ:Jリーグ

増島みどり(スポーツライター)

2019年10月17日

川淵氏がなによりこだわったのは「言葉」

九段コーポラスの跡地は現在「住友不動産九段北ビル」になっている。写真:茂木あきら(サッカーダイジェスト写真部)協力:住友不動産

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 事務局メンバーは、準備室室長の川淵、日産自動車から準備室事務局長として加わった佐々木一樹(後にJリーグ事務局長)、当時博報堂に勤務していた加賀山公、豊野輪華子のわずか4人。プロ誕生に向けて本格的に華々しいスタートを切った、わけではなく、部屋の間取りは2DK、折り畳み式のベッドを引き出しに収納してから仕事を始めるようなひっそりとした船出だった。
 
 Jリーグが広報誌として発行し続ける「Jリーグニュース」記念すべき第一号でも、最初の事務所と記載されているのは九段下の後に移転した、神田の雑居ビルであるから、2DKのマンションが「初代事務所」だった時代を知る人物も、少なくなってしまったのだろう。
 
「あれから一度もここには来ていないだろうから、懐かしいような、懐かしくないような不思議な気分になるね。マンションは当時でさえとても古い公団住宅のような作りで、相当年季が入った感じだった。それでもあの頃はサッカーのために事務所を借りるなんて、そういう感覚もお金も全くなかったわけだから、博報堂の厚意でここを紹介してもらったのは有難かった。僕がJリーグの本当に最初の場所、と今でもここを記憶している理由は、自分たちで初めてサッカーの事務所と呼べる場所を構えた、そういう気持ちが強く残っているからだろう」

 4人の事務局員に担当はなかった。オールラウンダーといえば聞こえはいいが、実際には役割分担をする余裕もなかったからだ。
 
「あまりの忙しさに、担当も何もあったもんじゃなかったんです。今も鳴りっぱなしだった電話を思い出すくらいですから。本当に大変だった」
 
 加賀山はそう振り返って笑う。
 
 プロリーグへの問合せや確認の電話は朝からずっと切れる間がなく、電話の嵐がやっと収まるのは夜遅くなってから。しかし、小さな秘密基地のような場所で、Jリーグの理念の根幹を成す重要な言葉や理念が検討された。
 
 川淵は、スピーチを頼まれれば個人ならばその人物像を、企業、団体ならば背景やエピソード、さらに場を盛り上げるためには時流を捉えた話題を必ず交えて自ら原稿を書く。これだけ長く、多くのスピーチを行なってきたが、「スピーチライター」は一切頼まず常に自分で原稿を書き上げている。それは、「自分の言葉」で発信する力、魅力をもっとも重要だと考えているからだ。だからこそ、これまでにないプロサッカーリーグを、新鮮でオリジナリティのある存在として表現するために「言葉にこだわって考えよう」と、よく佐々木、加賀山たちに話していたという。
 

Jリーグニュースの第一号に掲載された「Jリーグ創設準備室のスタッフ」。“5人目”の小林さんは神田の事務所から加わった。協力:Jリーグ

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