「初めて香港に来た時の月給は6万円でした(苦笑)」「生活はできていましたよ」
――話は変わって、プレーされている香港プレミアリーグ(香港1部)について聞かせてください。
「10チーム(うち1チームは中国・広州)で構成されているプロリーグです。一番の金満クラブは広州富力(中国1部・広州富力のセカンドチーム)、年間予算は10億円位だと思います。広州富力には、鹿島アントラーズでプレーしたアルシンドさんの息子(イゴール・サルトーリ)がプレーしていますよ。彼は昨季リーグMVPを取って買われていきました(大埔FC→広州富力)」
―――香港プレミアリーガーのサラリーってどんなものなのか気になります。
「前出のイゴールが今季3000万円くらいもらっていると思います。それがリーグ最高年俸でしょう。因みに、私が22歳で初めて香港へ来た時の月給は6万円でした(苦笑)。ただ寮に住みながら食費も支給してくれていた、そして勝利給も貰えていたので延べ月20万円くらいだったかな。生活はできていましたよ」
――中村さんが所属する傑志SCは、香港ビッグクラブのひとつですよね。今季はAFCカップへも出場されていました。
「(AFCカップ決勝まで勝ち上がっている)北朝鮮の4.25FCと同組でアウェー戦で平壌へも行ったんですが、彼らはホームで滅茶苦茶強かったです。勝てる気がしなかったですから(苦笑)。平壌ではよく言われるような監視や盗聴、制限というのは全くなかったですし、食事も美味しかったですよ」
――7月にはマンチェスター・シティFCのアジアツアーでも試合をされましたね。
「滅茶苦茶強かったです。シティのサッカーって特殊じゃないですか。ああやられると、どうしようもないみたいな(苦笑)。前半45分だけの出場でしたが、スーパースターが集まるとこんなにも凄いんだとピッチで感じられたことは良かったです。僕ね、デ・ブルイネとマッチアップしていたんですよ。強烈に巧かったけど、僕もいなしてやりましたから。それも自信になったし、個人的にやれた部分も多くあったので楽しかったです」
10月初旬の移籍市場が閉まる間際、中村が昨季リーグ覇者・大埔FCへレンタル移籍することが発表された。そして移籍早々の第3節には途中出場し、値千金の同点ゴールを決め存在感を示してみせた。
フリーの状況が続く本田圭佑や、苦渋の思いで活躍の場を掴んだ岡崎慎司とは同学年。彼もまた、愛する香港でチャレンジを続けている。
香港代表が“カタール2022”の出場権を懸けた最終決戦へ進むことは現実として難しいだろう。しかし、2023年のアジアカップ中国大会へ出場し、日本代表と相まみえることは十分にあり得る話である。彼の上積みされた歴史を、中国大会会場のミックスゾーンで聞かせてもらうという楽しみがひとつ増えた。
■プロフィール
中村祐人(なかむら・ゆうと)
1987年生まれ、千葉県出身。父(中村修三氏/現役時代は三菱自工でプレー、現浦和レッズGM)の影響で5歳からボールを蹴り始め、柏レイソルジュニア、浦和ジュニアユース、浦和ユースとJクラブの育成組織で過ごす。高校2年時に試合出場機会を求め、在籍していた西武台高のサッカー部へ籍を移し、3年時に第83回全国高校サッカー選手権大会に主力として出場を果たした。青山学院大学での4年間を経て香港へ渡りプロ選手に。1年目の活躍もあってポルトガル(ポルティモネンセSC)へ移籍するが、出場機会に恵まれず再び香港へ舞い戻る。以後、ローカルファンから一目置かれる存在となった。2018年10月には香港人へ帰化、念願の香港代表にも選出される。当地で出会った妻とふたり、激動の香港を生き抜いている。
取材・文●佐々木裕介
「10チーム(うち1チームは中国・広州)で構成されているプロリーグです。一番の金満クラブは広州富力(中国1部・広州富力のセカンドチーム)、年間予算は10億円位だと思います。広州富力には、鹿島アントラーズでプレーしたアルシンドさんの息子(イゴール・サルトーリ)がプレーしていますよ。彼は昨季リーグMVPを取って買われていきました(大埔FC→広州富力)」
―――香港プレミアリーガーのサラリーってどんなものなのか気になります。
「前出のイゴールが今季3000万円くらいもらっていると思います。それがリーグ最高年俸でしょう。因みに、私が22歳で初めて香港へ来た時の月給は6万円でした(苦笑)。ただ寮に住みながら食費も支給してくれていた、そして勝利給も貰えていたので延べ月20万円くらいだったかな。生活はできていましたよ」
――中村さんが所属する傑志SCは、香港ビッグクラブのひとつですよね。今季はAFCカップへも出場されていました。
「(AFCカップ決勝まで勝ち上がっている)北朝鮮の4.25FCと同組でアウェー戦で平壌へも行ったんですが、彼らはホームで滅茶苦茶強かったです。勝てる気がしなかったですから(苦笑)。平壌ではよく言われるような監視や盗聴、制限というのは全くなかったですし、食事も美味しかったですよ」
――7月にはマンチェスター・シティFCのアジアツアーでも試合をされましたね。
「滅茶苦茶強かったです。シティのサッカーって特殊じゃないですか。ああやられると、どうしようもないみたいな(苦笑)。前半45分だけの出場でしたが、スーパースターが集まるとこんなにも凄いんだとピッチで感じられたことは良かったです。僕ね、デ・ブルイネとマッチアップしていたんですよ。強烈に巧かったけど、僕もいなしてやりましたから。それも自信になったし、個人的にやれた部分も多くあったので楽しかったです」
10月初旬の移籍市場が閉まる間際、中村が昨季リーグ覇者・大埔FCへレンタル移籍することが発表された。そして移籍早々の第3節には途中出場し、値千金の同点ゴールを決め存在感を示してみせた。
フリーの状況が続く本田圭佑や、苦渋の思いで活躍の場を掴んだ岡崎慎司とは同学年。彼もまた、愛する香港でチャレンジを続けている。
香港代表が“カタール2022”の出場権を懸けた最終決戦へ進むことは現実として難しいだろう。しかし、2023年のアジアカップ中国大会へ出場し、日本代表と相まみえることは十分にあり得る話である。彼の上積みされた歴史を、中国大会会場のミックスゾーンで聞かせてもらうという楽しみがひとつ増えた。
■プロフィール
中村祐人(なかむら・ゆうと)
1987年生まれ、千葉県出身。父(中村修三氏/現役時代は三菱自工でプレー、現浦和レッズGM)の影響で5歳からボールを蹴り始め、柏レイソルジュニア、浦和ジュニアユース、浦和ユースとJクラブの育成組織で過ごす。高校2年時に試合出場機会を求め、在籍していた西武台高のサッカー部へ籍を移し、3年時に第83回全国高校サッカー選手権大会に主力として出場を果たした。青山学院大学での4年間を経て香港へ渡りプロ選手に。1年目の活躍もあってポルトガル(ポルティモネンセSC)へ移籍するが、出場機会に恵まれず再び香港へ舞い戻る。以後、ローカルファンから一目置かれる存在となった。2018年10月には香港人へ帰化、念願の香港代表にも選出される。当地で出会った妻とふたり、激動の香港を生き抜いている。
取材・文●佐々木裕介